« マルティーナ・フランカ | トップページ | アマルフィ »

2011年1月19日 (水)

マルティーナ・フランカの教会

Martinach1

バロックの町マルティーナ・フランカ。狭い路地のあちこちから壮麗なバロックの教会が顔を覗かせている様子を見るとこの町が18世紀に栄えたのだろうということが想像できるが、その繁栄の土台は14世紀フィリップ・ダンジューが打ち出した都市建設の政策にあったのだという。宿屋や食料品店、公共のかまど等町での生活に必要な設備を整え、長期の借用権や信用貸しの繰り延べ、他地域で犯した罪の免除等寛大な条件により住民を増やした。最も有名なものが税金の免除でこれは町の名前の由来にもなっている。マルティーナ・フランカのフランカはイタリア語でFREEという意味で、「TAX FREEのマルティーナ」ということなのだそうだ。因みに、3世紀後セルヴァ(現在のアルベロベッロ)のジイロラモも免税以外のこの政策を試み、町の人口増加に成功している。

Martinach2

ところで、マルティーナ・フランカとアルベロベッロの間でこんな話が残されている。アルベロベッロのトルッリが当時のセルヴァの領主ジイロラモの脱税行為の産物であったことはよく知られているが、この脱税行為を周囲の領主は当然快く思っていなかった。1644年マルティーナ・フランカの公爵フランチェスコ1世はこの行為をスペイン裁判所に訴え出た。このときはジイロラモがスペイン王の税査定官が到着する前に建物を壊すことができたため事なきを得たが、5年後スペイン王フィリップ4世に裁判所への出頭を命じられ、遂に罪に問われることとなる。彼はしばらくスペインに拘留された後友人の助けにより許されたが、その帰途バルセロナにて客死、再度プーリアの地を踏むことはなかったということだ。マルティーナ・フランカの公爵にしてみれば自領地の民を免税にしつつもきちんと税を納めていたのだからはらわたの煮えくり返るような思いだったのだろう。ただ、セルヴァの脱税に関する政策はジイロラモの死後も後継者に引き継がれたので、マルティーナ側が溜飲を下げられたのはほんの一時のことだったかもしれない。とはいえ、18世紀には天才建築家ベルニーニに宮殿を建てさせるほどの繁栄を見せることになったのだから、最終的には正直者がバカを見るというようなことにはならなかったと言えるだろう。今は静かなプーリアの町にも色々な物語があって面白い。

Martinach3

バロックの教会は柱頭のデザインも凝っている。

Martinach4 

プレビシート広場にあるサン・マルティーノ教会

Martinach5

サン・マルティーノ教会扉上の彫刻。同じ南イタリアのバロックでもレッチェのようにファサードを彫刻で覆い尽くすようなことはしないようだ。

Martinach6

西の端にあるカルミネ教会のドーム。6角形の格間が美しい。この教会横の公園は見晴台になっており、遠くにロコロトンドが望める。

|

« マルティーナ・フランカ | トップページ | アマルフィ »

教会・神殿」カテゴリの記事

ヴァナキュラー建築」カテゴリの記事

イタリア」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マルティーナ・フランカの教会:

« マルティーナ・フランカ | トップページ | アマルフィ »