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2012年10月

2012年10月 8日 (月)

アムステルダム国立美術館2

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アムステルダム国立美術館改修工事の揉めごとについては前回書いたが、この建物は建設当初にも物議を醸していたらしい(新しい建築にはよくある話だ)。当時の論争は設計者のJ.P.H.カイペルスとプロテスタントとの間で繰り広げられた。カイペルスの案はネオ・ルネサンス様式にゴシック的要素が追加された折衷様式。これがプロテスタントから、国立の美術館としてはあまりにゴシック的でカトリック的と非難された。そのためカイペルスはギャラリーの尖塔アーチを半円アーチに変えることを余儀なくされるが、そうした変更を加えたにも関わらずこの建物はゴシック的で、しばしば「ゴシックの大聖堂」のようだと言われた。オランダ国王ヴィレム3世は「あの修道院もどきには、断じてこの足を踏み入れまい、一足たりとも!」と言い、それに対してオランダ近代建築の父と呼ばれるベルラーヘが「星空に吼える犬ころ」とカイペルスを援護したと言われている。

なんだかわかるようなわからないような話である。カトリック的では駄目なのか?ゴシック的では駄目なのか?

15世紀後半から16世紀までオランダ(低地地帯)はスペイン(ハプスブルグ家)の支配下にあったが、16世紀中頃に低地地帯の領主がスペインに対して反乱を起こし、さらに10年後カトリックの国であるスペインに対してプロテスタントを国教と定め抵抗を強めた。オランダが独立した後もその政策は続き、19世紀初めまでカトリックは半ば非合法な存在とされ続けた。オランダにとってカトリックはいわば侵略者の象徴のようなものだったのである。

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19世紀オランダにおけるカトリックの立場はなんとなくわかったが、今度はゴシック様式がカトリック的でルネサンス様式がプロテスタント的とする考え方がよくわからない。ゴシック建築が華やかかりし頃はまだプロテスタントは生まれていなかったので、ゴシックがカトリックの建築とされるのはわからなくもない。しかしルネサンスはどうか。ルネサンスの本場イタリアはカトリックの国ではないか。カトリックの総本山バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂ももともとはルネサンス様式だったのである。

どうもこのあたりもオランダ独自の事情によるらしかった。スペイン支配下のアムステルダムの建築は北方ゴシック様式が主流であった。1578年プロテスタントが国教となり、教会堂にも新しい様式と形態が必要になった。そこで採用されたのが、ルネサンス様式の集中式プラン(カトリックの教会堂は典礼の関係で長軸線を持つバシリカ式プランのものが多い)。それからオランダではルネサンス様式はプロテスタントの表現とされたようである。

因みにカイペルス自身はカトリック教徒であり、1815年カトリックのミサが解禁となった後はカトリックの教会堂を専門に修復する建築家となった。

アムステルダム観光のメインとなるものは北の中央駅から南の国立美術館あたりにほぼ集約されている。いずれもカイペルスの建築である。この美術館をはじめ彼の建築は美しいだけではなく多くのことを私たちに教えてくれる。アムステルダム観光はカイペルスに始まりカイペルスに終わるといっても過言ではないかもしれない。

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2012年10月 5日 (金)

アムステルダム国立美術館1

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「ようこそアムステルダム国立美術館へ」という映画を観た。レンブラントやフェルメールを所蔵する世界でも有数の美術館の改修工事をめぐるドキュメンタリー映画だ。アムステルダム国立美術館は中央駅で有名なJ.P.H.カイペルスが1885年に手がけたもので、世界で初めての美術館建築である。建物の老朽化、館内の迷路化(所蔵作品の増加に伴い細かな改築を重ねた結果とも膨大な国家のコレクションを収容するため設計当初からとも言われている)に伴い、2004年美術館は建物の改修に着手したのだが、トラブル続きで計画段階に遡って工事は中断してしまう。市民団体、美術館長、学芸員、役所、建築家、様々な主張が飛び交い、会議をしても相容れず、関係者はやる気をなくし、特に明るい見通しを感じさせないまま映画は終わる。立場が違えば意見も異なる。揉めに揉めるその様子は社会の縮図を見るようと言えばそうとも言えるが、日本人から見るとここまでなるかなーと若干の違和感もある。このいつ終わるともつかなかった改修工事もついに完成への見通しが立ち、2013年4月に美術館が再開するとの記事が出ていた。関係者はもちろん世界中の美術ファンにとっても大変喜ばしいニュースである。

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-北面ファサード-

美術館の改修工事が遅れに遅れた理由は多々あるが、興味深く観てしまったのが「自転車」論争だ。市民団体が建築家ユニット・クルス&オルティス案に対して自転車が通れなくなると真っ向から反対したのである。アムステルダム市民はこの美術館のエントランスで南北へのアクセスを確保しているらしく、美術館を通り抜ける自転車は1日13000台にものぼるという。現状でも通路は狭いのに改修案では狭すぎて通れなくなるということのようだ。

スキポール空港の別館にある模型で確認してみると、中央のギャラリーが通り抜けになっているらしいことがわかる。私からするとこんなところを自転車で通り抜けようとすることの方が不思議なのだが・・・。

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結局カイペルスのファサードはそのままに南北に走る中央ギャラリーもオリジナルの姿に修復するにとどまったようだ。コンペで選ばれたにも関わらず建築家が折れた形になった。「民主主義は崇高なもの。民主主義の悪用だ。」と映画の中でオルペスが語っていたのが思い出される。「修正案は月並み、通俗的。何故私たちを選んだのか。」

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-南面ファサード-

それにしても、そもそもカイペルスがこのような設計をしなければ1世紀も後になってこんな自転車論争を引き起こさなくて良かったのに・・・。実際に歩いてみても、どうでも美術館を通り抜けなければならない必然性は感じられない。しかもこのミュージアム広場一帯が19世紀末に新しく開発された地域であることを考えると尚のことである。建物の平面プラン自体も特に珍しいものではない(王宮のプランを下敷きにしたのではないかという説もある)。

地図を見ていて、それがこの美術館建築のコンセプトだったのだろうと思った。アムステルダム国立美術館はシンゲル運河沿いの通りに面して建っている。アムステルダムの地図を見ていると、他の運河はきっちりと直線的にひかれているのに、シンゲル運河だけはウネウネと小刻みに曲がっているのに気づく。それはこのシンゲル運河が17世紀に造られた市壁の外堀だったためである。現在アムステルダムにはその市壁は残されていない。おそらく19世紀末市街を拡張するにあたり取り払ってしまったのだろう。カイペルスは失われてしまった市壁に対して、新しい市門としての象徴的意味合いをこの建築に持たせたのではないだろうか。実際この美術館は市民に「城門」と呼ばれて親しまれているのだそうだ。なるほどなー。そう思うとこの自転車論争もなんだか愛おしく思えてきた(当事者じゃないし)。

ともかく、アムステルダム国立美術館は来年4月16日再オープン。楽しみだけど、多分行くことはない・・・。

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