« アムステルダム | トップページ | キャンドルライトクルーズに参加してみた(アムステルダム) »

2013年2月 1日 (金)

アムステルダムは北のヴェネツィア?

Ams12

運河の町アムステルダムは時に北のヴェネツィアとも形容される。どちらも無数の基礎杭の上に立つ町で、アムステルダムに「住民は鳥のように枝の上で暮らしている」という言葉があるように、ヴェネツィアにもヴェネツィアをひっくり返すと森になる」という言葉がある。物理的には似ているはずのこの二つの都市は、訪れてみるととても似ていない。何が違うのか。

Ams10

アムステルダムとヴェネツィアでは、運河の体感され方が違う。アムステルダムでは運河を超える度に、今自分が町のどのあたりにいるのか大体の見当がつく。幾何学的に運河が敷設されているため、町の大雑把な地図を頭に描きやすいのだ。南に運河を○本超えたからもうすぐ目的地に着くよねといった風な目安になる。例えるなら京都の碁盤の目のようなもので、非常に透明性の高い街並みになっている。

一方ヴェネツィアでは適当に通りを歩いているとすぐに袋小路につきあたってしまう。行き止まった原因は大抵運河である。ヴェネツィアでは運河はまるで迷路をつくりだす装置のように感じられる。場所が認識できる運河はカナル・グランデくらいで、あとはもう何が何だかわからない。まさしく迷宮都市である。

Ams13

二つの都市の運河の違いにはそれなりの理由があるようだ。

一つはヴェネツィアの属する文化圏だろう。イスラーム圏やエーゲ海の島々等地中海世界に迷路のような街並みが多いことはよく知られている。イタリアでも早くから海洋国家として知られている街には迷宮性の高いものが多く、ヴェネツィアもその一つである。

また、ヴェネツィアは小島が集まってできているため、道よりも水上での移動の方が重要だった。運河は自然な水の流れに沿って整備され、それに従って島の形が微調整された。そうなると運河は自然と複雑に曲がったり、歪んだりしたものになる。ヴェネツィアが技術的にも経済的にもまだ成熟していなかった中世の早い時期に作られたことも一因になっているだろう。普通に考えて交通網を作るならまっすぐに引こうと思うものだが、この時期のヴェネツィアに都市計画はなかった。

それに比べてアムステルダムは都市計画の申し子のような都市である。

アムステルダムには二つのシンゲルという名の運河があり、通常、中央駅から近い方をSingel(シンゲル)、遠い方をSingelgracht(シンゲル運河)と区別している。シンゲルとはオランダ語で「囲む」という意味で、シンゲルは1480~1585年までの外堀。シンゲル運河は17~19世紀までの外堀となっている。16世紀アムステルダムは、衰退していくアントワープに代わる中継貿易拠点として繁栄し17世紀にそのピークを迎えるが、急増する人口と都市の防衛に対応する必要が生じた。16世紀末に3万だった人口が17世紀半ばには22万、約1世紀の間に7倍以上に膨れ上がったのだからもの凄い。そのため17世紀初め都市計画が立案され、アムステルダムはシンゲル運河まで拡張される。特徴的な扇状に広がる運河はこの時点で完成されたのである。余談ながら運河の敷設工事は北から南へ一本一本造られていったように思いがちだが、実は西から東へと進められたのだそうだ。必要に応じて運河を増設していったのではなく、整然とした都市計画の下に工事が行われていたことが伺い知れる。その結果、アムステルダムはよく手入れされた公園のような景観の都市になった。

Ams11

よくわからないが、ヴェネツィアは見通しがきかず、内奥になにか隠し持っていそうなミステリアスな中世都市で、アムステルダムは人の理性で見事に制御された透明性の高い近世都市、といったところだろうか。あくまで見た目の話であるが、アムステルダムはなんだか「新しい」のである。先鋭的とか最先端とかそういう意味ではなく(ウォーターフロントにはそういう建築も多いが)、日本人観光客が思うヨーロッパの古い街並みよりずっと「新しい」のである。通りに並ぶ建物は伝統的な形をしているにも関わらずこの感覚は拭えない。あまりにも完璧な街造りの結果だろう。それは悪く言うと、綺麗だけれど素っ気ないという意味でもある。公園のような景観は美しいけれど意外性がない。ヨーロッパ好きな日本人観光客がここに来ると、「求めていたイメージと違う」と感じる人も少なくないのではないだろうか。むしろこのような整備の行き届いた景観は日本人より西欧人好みなのかもしれない。オランダはヨーロッパでは人気の高い観光地だと聞く。日本庭園と西欧庭園の違いを考えると、あながち見当はずれでもないような気がしてきた。

それにしても、この都市計画が17世紀のものだったとは・・・。都市計画で有名なパリやローマと比較してもなんと斬新なことだろう。好き嫌いは別にしても、これほど凄いと思った都市は他にないかもしれない。

|

« アムステルダム | トップページ | キャンドルライトクルーズに参加してみた(アムステルダム) »

ヴァナキュラー建築」カテゴリの記事

オランダ」カテゴリの記事

コメント

私の今暮らしているバンコクも東洋のベネティアと称されることもあるようですが、それだけでもベネティアのインパクトがいかに大きいかがよく分かります。バンコクの運河は、小さなものは埋め立てられたり、まさしくドブになっていたりと少し残念です。いくつかの運河ではボートも利用できますが、水質と景観の悪さから、決して観光客向けではありません。馴れた地元の人でも、乗下船の時に落ちたり、ボートのすれ違いの時に水しぶきをかぶったりと、なかなか大変です。加えて運河のせいで、道路が行き止まりとなり、交通渋滞の原因となったり、どちらかというと悪者のイメージが強く、2つの街の運河に比べ、バンコクの運河は少しかわいそうな気がします。

投稿: khaaw | 2013年2月 3日 (日) 01時28分

khaawさん

コメント有難うございます!
そういえばバンコクも東洋のベネツィアと言われているんですね。でも確かに観光で運河クルーズって聞かないような…。
「慣れた地元の人でも」ということは、今でもその運河は交通網なんですね。テレビで小さな船に果物等いっぱい積んで、という映像を見たことがありますが、あれは運河でしょうか。川かと思ってました(笑)

アジアは殆ど行ったことがなくて想像ができませんが、興味が湧いてきました。もし可能で機会があれば、khaawさんのブログで取り上げてもらえないものでしょうか?ひっそりと楽しみにしています(笑)

投稿: ひなた | 2013年2月 3日 (日) 17時37分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アムステルダムは北のヴェネツィア?:

« アムステルダム | トップページ | キャンドルライトクルーズに参加してみた(アムステルダム) »