プラハ標識めぐり

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  ○○通り○○西入る-

京都の住所はこんな風に番地を入れないケースが多い。東京の会社に電話で住所を伝えると、時々ではあるが「これで郵送して届きますか」と不安そうに確認されることがある。京都は町が碁盤の目になっているので、○○通りと○○通りの間を西へといった表現で大体のところはわかるようになっている。いたって合理的な住所なのである。古い歴史のある町は多かれ少なかれこのような場所を表わす工夫があるのではないかと思うが、プラハでは扉の上や壁に掲げられているレリーフや彫像が住所代わりに使われていたそうだ。標識のモチーフには別段の決まりはなく、ライオンや熊のような動物であったり、イエスや聖母のような宗教的なもの、その家の職業を表わすようなもの等思い思いのものが使われている。何とか通りの「二つの尻尾を持つライオンの家」とか「三本の赤い薔薇の家」とか言われていたのを想像すると何だか可愛らしい。時におとぎの国のようなと例えられるプラハにはぴったりである。

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ネルドヴァ通り12番「3挺のバイオリン」 4代まで確認されているバイオリン職人の家で、この標識が作られたのは3代目のとき。

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ネルドヴァ通り16番「黄金の杯」

プラハに正式な住所がもたらされたのは、マリア・テレジア帝政の頃。区画割を行いその中でヴルタヴァ川に沿って番号が振られその番号が赤いプレートで示された。次にチャコ・スロバキアになり新しく振りなおされた番号が青いプレートで表示されるようになる。青いプレートしかない家は比較的新しい家、赤いプレートもついていればマリア・テレジアの時代にまで遡れる家、その上標識までついていれば物凄く古い家と言うことになる。古い町並みを残すプラハでは今でもこういった標識を多く見ることができる。その標識の由来を想像しながらあてもなく散策するのも楽しい。

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ネルドヴァ通り「黄金のメデュウサ」 メデュウサの首や目は多くの国で魔よけとしてよく使用されている。

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ネルドヴァ通り47番「黄金の二つの太陽」

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ウーヴォス通り14番「3つのハート」

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ツェレトナー通り8番「黒い太陽」

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「黄金の聖母子」

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カルロヴァ通り18番「黄金の蛇」

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カルロヴァ通り「太陽の聖母子」

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ウーヴォス22番「天秤を手にする幼子」

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カルロヴァ通り22番「黄金の井戸の娘」 

この少女はチェコの伝説のリブシェ王女とする説と、この館の前にあった井戸に落ちた少女であるとする説がある。昔この井戸の前に住んでいた少女が水を汲もうとして誤って井戸に落ち、父親が娘の遺体を引き上げた折に井戸の中から沢山の金貨が見つかった。父親は大金持ちになり立派な館を建てたが、それ以来亡くなった娘が毎晩枕元で「私のおかげでお金持ちになったのに墓もたててくれない」とすすり泣くようになった。困った父親はバルコニーに娘の像を作り供養したところ娘はぱったりと出てこなくなったということである。たおやかで高貴な印象の少女の像は井戸に水を汲み来そうには見えないが、果たしてどちらの説が本当なのか。

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旧市庁舎の天文時計(プラハ)

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プラハ旧市庁舎天文時計の前で3時に旦那と待ち合わせをした。行ってみると凄い人だかりで、どこにいるのだかとても探せる状態ではない。それもそのはずすっかり忘れていたのだが、 9時から21時までの毎0分にここのからくり時計が動くのである。そのほんの何十秒のために毎時間沢山の観光客が集まって来る。どうやら私達は最も不適切な待ち合わせ場所を設定してしまったらしい。

このからくり時計は「使徒の行進」と呼ばれており、時計上部の二つの小窓に順番に十二使徒が現れ全員が登場して窓が閉まる。窓の下ではガイコツが紐を引っ張り鐘を鳴らすという単純なものである。それでも沢山の観光客がそれを目当てに集まってくるのだから羨ましいばかりの集客力である。

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この天文時計には一つの言い伝えがあって、これがなかなかそれっぽい。この時計は15世紀中頃にハヌシュというカレル大学の数学・天文学教授によって作られたが、あまりに素晴らしいで出来栄えだったのでプラハ以外でまた作られたりしないようにプラハの市参事会が彼の眼を潰してしまった。盲目になったハヌシュは暫く時計の管理をしていたが、まもなく病に倒れ亡くなってしまった。それ以来時計は時を刻むのをやめ、1948年電動に変えられるまで動くことはなかった・・・と言うのである。

興味深い話ではるが、実際にはこの話は誤りである。この時計の作者はハヌシュではなく、1410年に時計職人のミクラシュとプラハ・カレル大学の数学・天文学教授のヤン・シンデルによって作られたということが20世紀に入り明らかにされている。ただ、そういう話がまことしやかに囁かれるほど、この時計は素晴らしく、プラハの誇りであるとともに愛されてきたのだろう。

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この天文時計で最も古い部分はこのプラネタリウムの文字盤と時計の構造。中世の天文学とで使われたアストロラーベのような機構を備えているのだそうだ。随分複雑な文字盤で何処を見ればよいのちょっとわからない。文字盤の真ん中にある青い丸は地球を表わしているのだそうだ。地球の周りの青・赤・黒の部分が地平線で、それぞれ日中、黄昏・曙、夜を表わしており、金色の太陽の針が昼なら青い部分に夜には黒い部分に移動する。地平線の青と赤の変わり目にはラテン語で「occasus(日没)」「crepusculum(黄昏)」、「aurora(夜明け)」「ortus(上昇)」と書かれている。金色のローマ数字は通常での現地時間(つまりヨーロッパ標準時間)を、文字盤を横切る金の円弧はサマータイムに対応する為のものらしいが、見方がわからない。最も外側を囲んでいる黒地に金のドイツ文字の数字は古チェコ時間。古チェコ時間は日没から始まるので、この環は日没が0時になるように1年を通して動いているのだそうだ。そして、星座が書かれた環は十二宮環と呼ばれ、太陽の横道上の位置を示している。

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月々を表わすカレンダリウムは1870年に追加された。 19世紀だから意外に新しい。Tenmondokei5

この天文時計、もう一つ興味深いことがある。旧市街広場付近を歩いているとこの天文時計の鐘の音が聞こえてくる、ああもう3時なんだなあと思っていると、どうも鐘の音は不規則でその時間の数を叩いているようには聞こえない。でたらめに叩いている訳でもないだろうと不思議に思っていたら、やはりちゃんと意味があった。

1,2,3,4,32,123,43,2123,432,1234,32123,43212,

34321,23432,1234321,2343212,3432123,4321234,

32123432,123432123.43212343,2123432123,43123432,

1,2,3,4,32、・・・

一見何の関係もなさそうに見えるこの数列。実は、天文時計の鐘の音を表わしている。この数字はカンマの間の数字の和が時間(つまり鐘の音)を表わすようになっている。32なら3+2=5時、123なら1+2+3=6時という訳である。最初の1、2、3、4はそのまま普通に鳴らして、5時は一度3回鳴らして一拍おいて2回鳴らす。

この数列の凄いところは、カンマに捕らわれずに見ると、123432の繰り返しでできているところである。それが24時で減じて行く方の2で終わり、また1時から繰り返し始められるようになっているため、丁度時計に使える数列になっているのだ。誰が発見した数列なのか、どうしてこれがこの時計に使用されているのか、またいつから採用されたのか、残念ながら私にはわからないが、そのうち調べてみたいとは思っている。

プラハに行く前からとても見るのを楽しみにしていたこの天文時計。知れば知るほど、ますます気になる存在になってしまった。

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北京古観象台

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地下鉄建国門駅の隣にたっている北京古観象台は1442年創設で、重要文化財に指定されている。17世紀に崇山の観星台と連携して天体観測がなされていた、かつての天文施設である。天体観測に用いられた当時の器材や中国における天体観測の歴史等の展示を見ることができる。そのレトロで美しい観測器を使って宇宙の神秘を解き明かそうとした人達のことを想像すると、それだけでなんだかワクワクする。どうやって使用するのかわかればもっと楽しかったのに・・・。

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これは黄道経維儀、これで天体の黄経をはかった。

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この射手座のマークのような観測機は天体の角度を測定する紀限儀。

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天体の方位を知るための天体儀。表面にはぷつぷつと小さな突起が作られている。

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庭に置かれた地平経儀、これで天体の方位角度をはかったらしい。

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四合院の中庭に設置された観測器。何かはわからなかった。

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ここでは日時計も展示されている。

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漢字で書かれた日時計。ちょっとかこいい。故宮にも同じような日時計が置いてあった。

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針のデザインが中国的で美しい日時計

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これは年時計とでも言うのだろうか。正午の影の長さを測定し、夏至や冬至をはかったようだ。

ところで、先日ラジオで宇宙用紙飛行機を日本の企業が開発したというニュースを聞いた。詳しい話はよくわからないが、その紙飛行機は大気圏突入時に燃えることなく地上に到達できるらしいのだ。本当にそんなことが可能なのかと不思議なのだが、スペースシャトルと紙飛行機では大気圏に突入するスピードが全く違うため生じる摩擦熱にも差があり、普通に考えて思うほど荒唐無稽な話ではないのだそうだ。地球のどこに落ちてもいいように、紙飛行機には日本語を初め10ヶ国語で連絡先が記されている。既にNASAに9機の紙飛行機が納品されており、写真で見たところデザインも普通の紙飛行機とは違い本格的でカッコイイ(?)デザインで、これなら宇宙でも飛びそうと思ったのは私だけだろうか・・・。この紙飛行機、地上300kmの宇宙ステーションから飛ばされるらしい。本当に地球に到着するのだろうか。せっかく辿り着いても、海や砂漠などに落ちたら拾ってもらえないだろう。などと、勝手に色々な心配をしているのだが、本当に実現したらなんと素敵なことだろうと思うのである。宇宙に、宇宙で、宇宙から-古観象台の観測器の時代から何百年もたった今も、宇宙は夢と神秘に溢れている。

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郵便貯金局

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レヒネル・エデンのブダペスト公共建築三部作最後の作品、郵便貯金局。この作品をもってして中世主義を離脱して変幻自在のレヒネル流アールヌ-ヴォーが完成したと言われる。

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白い平らな壁面を付柱によって垂直に分割、波打つように水平に伸びるレンガの蛇腹でリズムをつけている。

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この蜂達は実は付柱の頂きにある巣に向かって登っている。蜂は貯金の象徴なのだそうだ。

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扉口にもマジャールの伝統的な草花模様。見学は中の扉の前まで。

レヒネル・エデンは時々「東のガウディ」と呼ばれることがある。同時代人であり、しかもレヒネルの方が少し年上で活躍しはじめた時期も少し早いことを考えるとこの呼び名は失礼なんじゃないかと思ったりもするのだが、そもそもそう呼ばれる理由はなんなのだろうと思った。「日本のガウディ」と呼ばれる梵寿鋼のときはまさしくそうだなあと思ったが、レヒネルについては全く思わなかった。

つらつらと考えるとレヒネルとガウディの共通点は案外多い。1.二人とも自由なゴシックスタイルからキャリアをスタートしている。2.ヴィオレ・ル・デュクの信奉者である。3.民族意識が強い。4.イスラームの影響が見受けられる。5.タイルという素材の存在感。6.自然をモチーフにしたものが多い。思いつくままに挙げてみるとこんな感じだろうか。ヴィオレ・ル・デュクがアール・ヌーヴォーの理論的裏づけの一端を担っていると言われていることを考えるとレヒネルとガウディが二人とも影響を受けていて当然。それに民族主義とイスラームの影響は意味合いとして被る部分もあるので一つの項目にすべきかもしれない。内容的にはまだまだ整理が必要であるが、やはり比較したくなる二人ではあるのだと思った。

とは言うものの作品を見たときに受けるイメージはかなり違う。それは、マジョリカタイルとジョルナイタイルの色彩の違いかもしれないし、マグレブイスラームとインドイスラームの違いかもしれない。自然モチーフのデフォルメした表現と具象的表現の違いかもしれない。しかしながら、何よりも違う印象を受けるのは、その精神性においてではないかと思う。合理的な精神のガウディと感受性豊かなレヒネル。天井と壁が領域を超えて溶け合う幻想的な空間、胎内回帰願望と言われる浮遊感のある不思議な空間。私はやはり、レヒネルがガウディに似ているとはあまり思わない。

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レヒネルの細部へのこだわりは費用を増大させ、これ以降のブダペストの公共建築では予算を制限する法律ができた。そのためだろう、この郵便貯金局以降、レヒネルはブダペストの公共建築のコンペで締め出され、主役の座をライバルの一派に明け渡すこととなった。

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漁夫の砦

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ブダペスト、王宮の丘の上に御伽噺にでてくるような白い七つの塔を持つ回廊がある。「漁夫の砦」という変わった名前の由来は、中世にドナウの漁師組合がここを守っていたからといわれているが、勿論このネオ・ロマネスクの建物が砦として使われていたわけではない。建国千年祭に向けての市外美化計画の一環として1903年に造られたもので、設計はマーチャーシュ教会を手掛けたフリジェシュ・シュレクが担当している(ちなみにハンガリーは日本と同様に姓・名の順番になる)。

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とんがり帽子のような形はアジアからやってきたマジャール人の遊牧民のテントを、7つの塔はマジャールの7つの部族を表わしている。これはハンガリー人の祖といわれるアールパードがカルパチア山脈の東から他の6人の部族長達を率いてこの地にやってきたという言い伝えからきている。

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写真右側の十字架を頂く回廊は、マーチャーシュ教会の裏手にあたる。漁夫の砦の回廊はこの部分だけデザインが変わるのだが、教会の改修も手掛けたフリジェシュだから、おそらく教会の存在を意識してのことなのだろう。

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漁夫の砦の前にはハンガリー初代国王聖イシュトヴァーンの騎馬像がある。この聖イシュトヴァーンは現在のハンガリーの生みの親と目されている。彼がキリスト教を国教としたことにより、アジアから来たマジャール人の国であるハンガリーはカトリックの国として西洋文化圏の仲間入りを果たしたからである。

余談ながら、イシュトヴァーンはシュテファンのハンガリー語読みなのだそうだ。子供の頃に好きだったファンタジーの登場人物がイシュトヴァーンという名前で、それ以来RPGの主人公につける名前はいつもイシュトだった私としては、随分とイメージが違って少なからずショックを受けてしまった。

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ここが漁夫の砦の入口。漁夫の砦は1Fは無料だが、2Fは有料となっている。ただ鎖がはってあるだけなので、人がいない朝や夜は無料で入れてしまうのだった。

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漁夫の砦は展望台になっている。くさり橋や聖イシュトヴァーン大聖堂、国会議事堂などドナウ川とペスト側の素晴らしい眺望が広がる。こちらは1F。柱越しに見垣間見える風景も風情があっていい感じ。

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こちらは2F、少し上がるだけで雰囲気も随分違う。

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7つの塔の中で最も大きなもの、アールパードの部族ということかしら。

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漁夫の砦は20世紀になってできたものだが、こんな風に見ると中世に迷い込んだような気分になる。

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夕暮れ時の砦。美しい黄昏の空に塔のシルエットが浮かぶ。

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1Fは夏にはカフェが開かれる。

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国会議事堂(ブダペスト)

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ドナウ川の水辺に佇む繊細なゴシックの躯体に上品なドーム、初めてこの建物の写真を見たとき随分優美な建築があるのだと驚いた。ゴシックにしては高さの強調が弱く水平に広がるその姿が珍しいと思うと同時に、何の用途を持った建物なのか図りかねた。宮殿には見えない、勿論教会でもない。美術館や博物館の類でもなさそうだ。国会議事堂と聞いて成る程なと思ったものの、ナニモノにも見えない、 何らしくもないというこの建物の印象は変わらなかった。

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国会議事堂は当然ながら案内つきでしか入れないので、長い列に並ぶことになる。今回の旅行の主たる目的がこの国会議事堂見学だったから我慢せざるをえないが、1時間半くらい待っただろうか。

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豪華なシャンなシャンデリアが続く

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まずはこの豪華な階段室に圧倒される。柱頭の装飾や尖塔アーチ、柱頭から天井へ伸びるリブ等要所要所にふんだんに金が使われ、天井にはクラシックなフレスコ画、リブの交差する辺りには軽やかなグロテスク模様が描かれている。

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ゴシック、ルネサンス、バッロクと様々な様式が見られる。アールヌーヴォー的な柱の草花文様はハンガリーの民族性を感じさせる。この不思議な印象の建物は、分類するならゴシック・リバイバルということになるが、様々な建築様式を取り入れた折衷主義が特徴的である。設計者はシュティンドル・イムレ。驚きなのは、完成したのが20世紀に入ってからということだ。建国千年祭での落成を目指していたものの激しい工事の遅れにより、20年の歳月の後にやっと完成。1904年のことだった。工事に時間が掛かったとは言え、着工したのは1884年頃だろうから、ゴシック・リバイバルにしては随分遅れた登場である。この国会議事堂建設には、ハンガリーがウィーンの支配から独立した国会を初めて持つことが可能になったという背景があり、国の威信を賭けた建物であり、民族の誇りを感じさせるものでなくてはならなかったのだ。建設にあたっては、イギリスを手本としたという。ロンドンのテムズ河畔にある国会議事堂もゴシックで建てられているが、ゴシックという様式はナショナリズムと結びつきやすい性質があるのかもしれない。

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星型のドームの見上げは、何となくエキゾチック。幾何学的なデザインはイスラームの影響を感じるが、その下のランセット窓はゴシックのイメージ。

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上の写真のランセット窓の下のゴシック的エレベーション。最下部を大アーチが支え、その上にトリフォリウム、クリアストーリーと続く三層式立面の上にドームが載っている。

ちなにみこのドームの下に、国宝中の国宝歴代の王が戴冠式に使った王冠、杓、玉が恭しく展示されている。

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これが有名な王冠。ハンガリーの国章にも使われているため、至る所でお目にかかることになる。上の十字架が傾いでいるところがポイントなのだが、これはローマから初代国王イシュトバーンへと届けられる長旅の最中で十字架が傾いてしまったため。もともと十字架を知らないイシュトヴァーン王は喜んでそのまま被ってしまったのだそうだ。何とも可愛らしいエピソードだが、伝統をそのままに国章に描かれる王冠は今でも傾いだ十字架を頂いている。

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国宝のあるホールを抜けると遂に議場に辿り着く。ここもまばゆいばかりの金で装飾されている。国会議事堂というよりオペラハウスのようである。建築当時の首相ティサは倹約家として知られているが、国会議事堂建設については「倹約は一切無用」と言い切ったと言う。この建設に使われた金の総量なんと40kg。彼の並ならぬ意思に感じ入るばかりである。

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議場の天井部とその立面。繊細なトレーサリーと持ち繰り部分の装飾が美しい。

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持ち送り部分の装飾は、入場チケットにもなっている。ドームや金のバロック的装飾部ではなく、これををチケットにするあたりデザインした人の美的センスの高さに感じ入る・・・。

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議員用の談話室の柱には、様々な職業の市民の像で飾られている。上院用下院用(今ではハンガリーは一院制だが、当時は二院制だった)の二つの部屋で200種類の職業の人々が描かれているのだとか。実は絨毯の色もここはブルーに変わっている(入口の豪華な階段等には深紅の絨毯が惹かれている)。青は忠誠を表わす色。議員は普通の赤い血ではなく青い血をもって職務を遂行しなければならないという意味なのだそうだ。どこかの国の議員にも見習ってもらいたものである。

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街側からの眺め。ドームはバットレスとフライングバットレスで支えられている。

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漁夫の砦から眺める国会議事堂

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マルギット橋からの眺め。この角度からも風情があっていい。ちなみに、最もよく建物が見えるのはバッチャーニ広場(1番上の写真)。

実は、冒頭の文章で「ナニモノでもないし、何らしくもない」と書いたときに、その比喩として安直に「無国籍」という言葉を使おうとしてすぐに不適当だと気づいてやめた。こうやって見ていると、この建物は無国籍どころか、確固たるバックグラウンドを感じる。しかも様々な・・・。ゴシックやルネサンス、バロック、そしてこれまでハンガリーが積み重ねてきた諸所の様式。無国籍というよりは多国籍。トルコ・オーストリア・ソ連といった他国からの干渉を受けながら遂に独立政権を勝ち取ったハンガリーの歴史の重みを感じる建築だと思った。

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気になる日時計

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ルー・サン・ジャック27番地にちょっと変わった日時計がある。シュールで不気味な人の顔が描かれているそれは、パリの街角にあまり似つかわしくない。良く見てみると右下によく知られたサインが入っていることがわかる。作者はシュールレアリスムの画家ダリ、友人のパン屋のために作ったものだそうだ。ヨーロッパの街角には時々こんな発見があって楽しい。

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こんな風に時計がはってある

ルー・サン・ジャックはサン・ティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のフランス側出発点として有名な通りだ。私にとっては、初めてヨーロッパを一人で旅行したときの最初の夜に宿を取ったのがこの通りで、その後長い趣味となる建築めぐりの旅の出発点でもあり、少し思い入れのある場所である。

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ランスで見かけた日時計

針のない方向から歩いてくると、大きな壁にローマ数字がただ書いてあるように見える。なんだろうなーと思って通り過ぎると針が見えて日時計だったことがわかった。

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南仏エズで見つけた日時計。色鮮やかで可愛い。

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イタリア ベルガモの旧市街で見つけた王道の日時計

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スペイン セゴビア旧市街の広場の前にあったとてもお洒落な日時計

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兵庫県立子どもの館と桜

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兵庫県立子どもの館は、安藤忠雄がはじめてランドスケープまで手掛けたことで知られています。当時(1987年)の日本では、建築の設計者がランドスケープまで手掛けることは殆どなかったそうです。本館と工作館が中間広場を介して直線で繋がれています。

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安藤建築には水が効果的に使われている例が多い。谷口吉生の水盤が建築のあちら側とこちら側を仕切るためのものだとしたら、安藤の水にはどんな意味があるのだろうと考えてしまいます。

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本館の中心の円を抱え込むように配された階段

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コンクリートの滑らかな断面とその壁が作る光と影が、神々しい空間を現出させます。

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帰り際に振り向くと、今までなかった金色の光が階段の闇の中に落ちていました。ハッとするような綺麗さなんですよね。建築は見る時間によって全然違う表情を見せます。刻々と移り行く時間をその建物とともに過ごさないと本当のその建築の魅力を見ることはできないのかもしれません。

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子どもの館の向こう側にはダムによる人工湖が広がっています。

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円形劇場

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円形劇場からの眺め

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多柱空間の中間広場

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工作館

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対岸からの中間広場。子どもの館は自然の中に埋め込むように建てられています。安藤忠雄が、建築は10年もすれば周囲の自然に埋もれてしまえばいいと言っていましたが、まさしくそのような感じです。

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姫路城のソメイヨシノのピンク一色も良かったのですが、山桜の葉の赤さや新緑の緑と色とりどりの山肌はなんとも言えない美しさでした。

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子どもの館は姫路駅からバスで20分程度のところにあります。2時間に1本しかないのでなかなか不便なのですが、この時期には訪れる人も少なく(そんなことではダメなんでしょうけど)、静かにのんびりとした時間が過ごせます。

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ちょっ蔵広場

Chokura5 馬頭広重美術館へ行く途中、氏家駅の一つ手前の宝積寺駅、ふと顔を上げると網目状のルーバーが特徴的な蔵がポツンと建っているのが目に入りました。あれは他でもない、隈 研吾の「ちょっ蔵ホール」ではないですか。「宇都宮からほど近い」とは聞いていたのですが、正確な場所もわからないし、ネーミング変だし、駅前の開発途中で蔵一つが寂しく建っているだけ・・・とのことだったので、今回のお出かけでは実はノーマーク物件でした。ちょっと得した気分で美術館帰りに途中下車。でも、これが意外に意外、この地方の伝統と自然、そしてスタイリッシュなデザインが一体化した素敵な建築でした。                          

                    

Chokura6 ちょっ蔵広場には、「ちょっ蔵ホール」と「商工会館」そして「多目的展示場」の3つの建物があります。左の写真はもともとあった蔵を曳家をして保存活用した「ちょっ蔵ホール」です。曳家とは、建物を解体することなく形を維持したままで移動させることを言います。ラッセ・ハルストレムの映画「シッピングニュース」で主人公が後々住むことになる家を祖先のバイキング達が厳しい雪と氷の中、家を丸ごと移動させる印象的なシーンがありましたが、まさしく曳家の作業ですね。                             

                                          

Chokura1  ちょっ蔵ホールのエントランス。網目状のファサードから漏れて来る光が木漏れ日のようでキレイです。                             

                                                       

                                                        

Chokura2   多目的展示場。地元産の大谷石を同じく網目状に積み上げたファサード。伝統的な素材による幾何学模様のルーバーが美しいです。大谷石と書いて、オオヤイシと読みます。大谷石は宇都宮の丘陵や山麓から産出される緑色の凝灰岩で、この辺りの地方ではこの石を積みあげた蔵が今でも普通に点在しています。日本でヴァナキュラー建築と言えば白川郷や京都嵯峨野に残るような茅葺や竹で吹かれたものを想像するのですが、石の建造物は珍しいのではないでしょうか。日本独特の蔵の形状と西洋ムードの漂う個性的な色を持つ大谷石の組み合わせは、少し衝撃的でした。                                                              

                           

Chokura7  多目的展示場の中はこんな感じ。                                                                               

                                                       

                                                  

                                                                         

Chokura3_1  多目的展示場の入り口。展示室と展示室のルーバーの間には少し光沢のある白い材質のものが貼ってありますが、何かはわかりませんでした。                                  

                                                  

                                      

Chokura4  展示室と展示室の間のホール。カッコイイです。広重美術館もそうでしたが、周囲の自然を額縁の中に切り取って建物の体内に取り込んでしまうような感じです。

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