ネクラノヴァ通りの集合住宅
ホホルの最高傑作と言われる集合住宅はヴィシェフラト地区ネクラノヴァ通りにある。ヴィシェフラト地区はキュビズムが多く見られる地域で、コバジョヴィチ邸やラシーン堤防の三世帯住宅もこの近くに建てられている。ラシーン堤防の三世帯住宅ではまだ過去の様式を引きずっていたホホルも、ネクラノヴァ通りの集合住宅ではすっかり吹っ切れたように見える。鋭角的なコーニスの凹凸をはじめ、真っ白な壁体に結晶形が連続する様子はとても印象的だ。坂道に立つその立地も建物の持つシャープな印象に一役買っている。鋭いコーナーの角度は70度、随分変則的な敷地である。
坂側のエントランス。ダイヤモンド型に飛び出した庇がおもしろい。1Fはレストランになっているようだが、元旦のこの日は勿論定休日。
鋭角に波打つコーニス
水平な通りのエントランス
キュビズム建築が建てられたのは1911年から1914年なので、1913年~1914年に建てられたネクラノヴァの集合住宅はホホル最後のキュビズム建築にあたるのだろうか。1914年は第一次世界大戦の始まった年である。大戦は建築の世界にも大きな変化をもたらした。これ以降、キュビズムやアール・ヌーヴォーは建てられなくなり、代わってロンド・キュビズムやアール・デコが現れる。と言っても、ロンド・キュビズムはチェコのアール・デコなので、キュビズムで独自の歩みを進めたチェコもここで西洋建築の大きな流れの中に還って行くことになる。ホホルはと言うと、ロンド・キュビズムではなく、ロシア構成主義へと進んで行った。ホホルの理知的で禁欲的なデザインを見ているとそれはとても自然なことに思えた。
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