パサージュ

2011年7月11日 (月)

レドンホール・マーケット

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クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフター」で魅力的なパサージュを見つけた(イギリスだから本当はアーケードという)。お洒落な感じの場所だったのでガイドブックに載っているだろうと高を括っていたら、生憎掲載はなかった。ロンドンにあるという以外に情報がなかったので、見つけるのに少し手間取ってしまったが、どうやらレドンホール・マーケットというところらしい(リーデンホールとも)。

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レドンホールマーケットは1881年サー・ホーレス・ジョーンズにより建てられた。赤と白を基調とした統一感ある洒落たマーケットは、14世紀頃食品市場としてはじまったもの。現在ではレストランやパブなども入っており、夕方5時ともなると仕事終わりの銀行マンでパブなどは大混雑。観光客はちょっと近づけないムードだ。ちなみにサー・ホーレス・ジョーンズはタワーブリッジやギルドホールを建てた建築家で、他にも幾つかのマーケットを手掛けている。

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「ヒア アフター」でマット・デイモンが女性と待ち合わせをしていたのが、このピッツェリアではないかと・・・。店の窓側に二人掛けの席があり、手前から2番目か3番目の席あたりに座って待っていたような?女性はメイフェアに宿泊していたからその近くかと思いきやモニュメント付近とは、優しくないなマット。

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交差部見上げ

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レドンホールマーケットは「ヒア アフター」というよりも「ハリーポッター 賢者の石」のロケ地として有名だ。といっても入口は少し映るが、内部の様子は殆どわからない。

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入口の時計

レドンホールマーケットは地下鉄モニュメント駅から徒歩10分程度。バンク駅からでもそう遠くない。金融街にあるため土日はカフェやパブでさえ店を閉める。店は閉まっていても明かりは付いているので、マーケットの美しさはわかるかも。そうはいってもマーケットは賑わっている方がいいに決まっているので、できれば平日の昼間に訪れるのが望ましい。

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2011年7月 4日 (月)

ヘイズ ギャレリア

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ヘイズギャレリアはテムズ川の南岸、ロンドンブリッジ駅からタワーブリッジへ向かう途中にあるガラスのヴォールトが美しい商業施設だ。19世紀の波止場の倉庫であったものをリノベーションし、現在は洒落たレストランやカフェが軒を連ねている。

19世紀このあたりはヘイズワーフという波止場でインドや中国からの紅茶の主要な荷渡地として賑わっていた。ロンドンに輸入された乾物の80%がこのエリアを通過し、「ロンドンの食料貯蔵室」と呼ばれるほどだったらしい。倉庫であったもともとのレンガ造の建物は1850年頃Sir William Cubittが新しい波止場を造るよう命じられたもので、ヘイズワーフと改名されたのもこの頃であった。最初の所有者アレクサンダー・ヘイに因んで名付けられたものだ。第二次大戦後水運事業もかつての勢いを失い、この波止場も廃れていった。

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1980年から1990年にかけてロンドンブリッジ界隈の再開発が行なわれ、このヘイズワーフもヘイズガレリアとして生まれ変わった。リノベーションはトゥイッグ・ブラウン・アーキテクツ。19世紀の駅(パディントンやヴィクトリアのような)を彷彿とさせるような大きなガラスのヴォールトが印象的だ。ギャレリア全体がテムズ川に直角に位置せず、入口で少し軌道修正するところがなんとも言えずかっこいい。このブレはリノベーション時のデザインではなく、Sir William Cubittの建てたもとの倉庫の形をそのまま継承した結果なのだそうだ。

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ヘイズギャレリアの中心に置かれる船のブロンズ彫刻は、この地での海運業の功績を記念して1987年デヴィッド・ケンプにより造られたもの。「ナビゲーター」という作品らしい。

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面白いなと思ったのは、ガラスのヴォールトを支えるこの鉄骨の柱。細い柱が何本か束になったような形状をしている。これはゴシック様式の線状要素と呼ばれているもので、石の量感を排除し軽く見せるための工夫である。これを鉄の建築に取り入れるあたり、さすがはゴシックの国イギリス。周囲の建築はゴシックではないが上手くマッチしている。

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2011年3月 1日 (火)

ガレリア・プリンチペ・ディ・ナポリ

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ナポリのもう一つのガレリア、プリンチペ・ディ・ナポリ。ウンベルト1世のガレリアより早く1870年から1883年にかけて造られた。設計はニコラ・ブレグリアとジョバンニ・デ・ノヴェリス。

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こちらは「ナポリの王子」という名前なだけに上品で可愛らしい感じ。

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プリンチペ・ディ・ナポリというのが誰か特定の個人を指すのかどうかは不明。広場やお菓子の名前にも使われているので、何かあるのかも。 

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ガレリア・プリンチペ・ディ・ナポリは博物館地区、国立考古学博物館のすぐ前にある。

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2011年2月22日 (火)

ウンベルト1世のガレリア

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ナポリ、ウンベルト1世のガレリア。1884年コレラ流行後荒廃した街の美化のため、1887年~1890年にかけて造られた。ミラノのヴィットリオ・エマニュエーレ2世のガレリアより約10年ほど遅い。よく似ていると思ったら、V.,エマニュエーレ2世のガレリアを模して造られたのだそうだ。パサージュ・ギャルリーと言えばパリのイメージが強いが、パリのそれらが街の中に自然に溶け込んでいるのに対して、イタリアのガレリアは極めて豪華でシンボリックである。

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ミラノのガレリアと比べるとガラスと鉄の天井部はこちらの方がこなれた感じがする。

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ペンデンティブの装飾がとても美しい。

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床のモザイクは意外にシンプル。

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海側のエントランス。緩やかにRを描くファサードは広場の噴水とともにバロック的な町並みを作り出す。

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ファサードのポルティコ

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ポルティコの格間天井。どこを見ても美しいこのガレリアは、王宮やサン・カルロ劇場、ヌォーボ城が林立する豪華な一画にある。

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2010年8月19日 (木)

アテネのパサージュ

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プラカ地区を散策してたいところ可愛らしいパサージュを見つけた。ちょうどシェスタの時間帯だったので誰も歩いておらず静まり返っていた。後で調べてみたが名前も何もわからなかった。残念。店は宗教関係のものが多く、観光客の私たちは何だか場違いな感じだった。ちなみにこのパサージュの入口のある通りを北へ行くとミクロポリス大聖堂に出る。

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幅のない狭いパサージュにも関わらず、中庭にいるような明るいイメージ。壁の色のせいだろうか。

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2008年1月 6日 (日)

ギャルリー・ヴィヴィエンヌ

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この年末年始の休暇を利用してパリ近郊へ旅行に出かけた。パリにはたくさんのパサージュがあるので、せっかっくなのでパサージュめぐりもしてみることに。現在パリに現存するパサージュは18くらいなのだそうだが、殆どはパサージュと呼ばれる庶民的なもので研究でもしているのでなければ観光客にとってはそう楽しいところではない。パリの中で最も美しいと言われるのがこのギャルリー・ヴィヴィエンヌ。年末年始はイルミネーションでさらに賑やかになる。

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中には人気のサロン・ド・テもある。ア・プリオリ・テはタルトやキッシュが人気でランチ時はいつもたくさんの人で賑わう。

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床のモザイクも美しい。

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二人の天使が持つ時計には『1795 Galerie  Vivienne』 の文字が入っている。

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入口の表示

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2007年12月28日 (金)

エマニュエレ2世のガレリア

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世界各地に色々なパサージュがあるが、最も有名なものと言えばミラノのエマニュエレ2世のガレリアではないだろうか。ドゥオモに隣接している立地のためか、有名ブランドが入っているためか、それともギャレリア自体の美しさのためなのか、ミラノに行ってここに足を運ばない人はいない。ちなみに、このようなアーケード街の、高級なものをガレリア(フランス語でギャルリー)、普通レベルのものをパサージュと言うらしい。つまり、京都の新京極や寺町はパサージュに分類されるわけである。そして、この大変豪華なエマニュエレ2世のガレリアは、ガレリアの中のガレリアと言っても過言ではないだろう。

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いつもにぎやかなガレリアだが、年末年始はクリスマスのイルミネーションでさらなる賑わいを見せる。

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これは秋の昼に訪れたときのもの。私はこの時間帯の方が好きかな。

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床のモザイクも美しい。このモザイクの上で3回まわって念じるとまたミラノに来れるのだったか、願いがかなうのだったか・・・さて、どっちだったろう?

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ドゥオモの屋上からガレリアの入口を見る。

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古典様式の堂々たる門構え。ガラス天井や床のモザイクと中の様子は有名なのに入口の壮麗さはあまり知られていないように思う。建築物のファサードは重要視されるけれど、パサージュの入口に重きを置く人はあまりいない。パサージュは建築と言うより『通り』としての性格が強いということなのだろう。内なる空間でもなく外部空間でもない、と同時に内部でも外部でもある不思議なシロモノ。ヴァルター・ベンヤミンはパサージュ論だけで5冊も本を書いている。それだけ奥深いものなわけだが、パサージュ愛好初心者の私にはこれ以上語る言葉は見つからない。

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こちらは元旦のガレリア入口。やはりクリスマスのイルミネーションで飾られている。

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2007年12月22日 (土)

パーリジ・ウドヴァル(パリの中庭)

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『庭』繋がりと言うか、アールヌーヴォー繋がりと言うか・・・モナコの『冬の庭』を書いたら、ハンガリーの『パリの中庭』について書きたくなった。

ブダペスト、エリジェベート橋の近くにある商店街の一角、旧ベルバローシュ貯蓄銀行社屋の1階に、『パーリジ・ウドヴァル(パリの中庭)』と呼ばれるパサージュがある。設計はHeinrich Schmal、 完成は1913年。完成の年については他に1893年、1911年、1915年と記されている資料があり、はっきりとはわからない。もともとはアパートメントとして建てられたものだそうだ。この頃、ガラス天井で覆われた歩行者専用の商店街であるパサージュはパリやウィーン、ロンドンといった大都市で大流行。大きなガラス天井は近代化のシンボルでもあった。『世紀末建築』と呼ばれるこの頃の建物は、独特の空気感を持っていて、いつ訪れてもタイムスリップをしたような気分にさせてくれる。

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このパサージュは殆どの店はもう営業をしていないようで、昼間でも暗くひっそりとしている。それでもこの建物は有名なようで、見学に来ている人たちが何人かいた。

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ドームのステンドグラス

タイトルを「パーリジ・ウドヴァル(パリの中庭)」と「ブダペスト旅物語」と言う本に倣って書いてみたが、他の資料をあたっていてふと不思議に思った。大抵の場合やはりハンガリー語ではわからないので()書きで英語や仏語が書いてある。

 Parisi Udvar(Paris Arcade)  Parisi Udvar(Passage Paris) 

「パリの中庭」なんてそんな風情のある名前ではなく、単にパリという名前のパサージュというだけなのである。そもそもこのハンガリー語の「udvar」ってなんなんだと思いgoogle翻訳で調べたところ、「ヤード」と出てきた。いやいや、ヤードはそもそも日本語じゃないだろうと心の中で突っ込みを入れながら、ヤードを調べてみると1ヤード2ヤードといった計測単位の他にヨットなどの帆桁という意味があるらしい。ガラスのドームやヴォールトを帆に見立てたと言うのは無理がありすぎる気がする。ヤードといって他に心あたりがあるのは、やはりスコットランド・ヤード?このヤードは確か「大屋根」という意味だと随分前に本で読んだことがあった。やはり屋根なのか?しかし、さらに調べてみると、スコットランドヤードは中庭の名前らしかった。中庭は正確にはコートヤードというが、これはイギリスが誇る建築家サー・クリストファー・レンが使い出した言葉のようだ(なので18世紀頃に出来た言葉ということか)。フランス語では温室のことを「jardin d’hiver (冬の庭)」と言うし、庭という言葉の持つ意味が日本語よりも広いのかもしれない。おそらく、このウドヴァルもパサージュうやアーケードと訳すのが本来の正確な訳語なのだろう。が、「ブダペスト旅物語」の作者が訳したように「パリの中庭」と言う方がパリへの憧れがつまった感じで情緒があっていい。

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通りの天井はガラスブロックで覆われている。写真ではわからないが、うっすらと模様が入っていて綺麗だった。

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ネオゴシック様式の装飾が美しいパーリジ・ウドヴァル入口

ブダペストにはネオゴシックの国会議事堂を見に来たのだが、街自体は新古典主義とアールヌーヴォーの建物が多く、なんだか意外な気がした。というか、どんな街並みだと想像したこともなかったんだけど・・・。街を散歩しているだけでも美しい入口や窓のデザインに出会えるとても素敵な街だった。

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