最初のキュビズム建築は、ツェレトゥナー通りとオボトニーチュルフの角に立つ黒い聖母の家である。チェコの国民的建築家ゴチャールの1912年の作品だ。同じ敷地に建っていた以前の建物にあった黒い聖母の標識をこの建物に移設したため今も「黒い聖母の家」と呼ばれているが、建築の世界では「ブラックマドンナ」とだけ呼ばれる方が多いようだ。1階にショップ、2Fにカフェ、3F以上ががキュビズム美術館となっており、中に入ることの出来る貴重なキュビズム建築となっている。当初は5階建ての百貨店としてオープンしたのだそうだ。
チェコキュビスムとは1911年~1914年とごく僅かな期間にプラハで起こった前衛的な芸術運動である。1906年にはじまるピカソやブラックのキュビズム運動に影響を受けたのは言うまでもないが、チェコでは絵画ではなく建築を中心に展開されたことが特殊だった。代表的な建築家は、パヴェル・ヤナーク、ヨゼフ・ゴチャール、ヨゼフ・ホホルの3人だ。このうち、ヤナークとゴチャールはチェコ近代建築の父ヤン・コチュラの弟子であったが(ホホルはワグナーに直接師事していた)、コチュラの普遍性を求める合理的思想に反発した。いまだオーストリア統治下にあったチェコのこの時期、彼らは20世紀建築のひとまずの到達点であるモダニズムへと繋がっていくコチュラの普遍性よりも、チェコ民族のアイデンティティを確立させる建築様式を強く求めた。ヤナーク、ゴチャール、ホホルより少し前にも、ファンタやオーマン、ポリーフカらアール・ヌーヴォーの建築家達がボヘミアン・ルネサンスにアール・ヌーヴォーを融合させチェコの独自性を主張する建築を目指したが、その独自性は装飾と言う範囲に留まるものだった。キュビズム建築家達はコチュラの普遍性にも反発したが、一世代前の装飾の世界だけの独自性にも共感できず、ワグナーの合理的な建築構造を踏まえた上で全く新しい造形デザインを生み出そうとした。おそらく、ヤン・コチュラは早すぎた建築家で、ファンタやポリーフカは時代が生んだ建築家だった。そして、キュビズム建築家達はその狭間の建築家だったと理解してもいいだろうと思う。
初のキュビズム建築となったブラック・マドンナは建設前こそプラハ市民による反対運動が行なわれたらしいが、完成後にはそれほどの抵抗感はなくおおむね好意的に受け入れられたようである。実際旧市街に佇むブラック・マドンナを見ても自然に周囲に溶け込んでおり、むしろ知らなければ見過ごしてしまいそうなくらいである。ファサードはシックな茶色に近いオレンジ、斜線や斜面の使い方も控えめでホホルのような厳しさはない。上へ行くに従ってセット・バックして行く躯体には、マンサード屋根のアチック(屋根裏)が二つ乗っている。前衛的なキュビズム建築にしてはあまり突飛さを感じさせない、自己主張の少ない温かみのある建築である。
ブラックマドンナは当時まだ珍しかったであろう鉄筋コンクリートの建築である。世界初の鉄筋コンクリート建築は1903年オーギュスト・ペレのフランクリン街の集合住宅なので、ゴチャールのブラックマドンナはその9年後ということになる。ペレは「よくつくられたコンクリートは大理石よりも美しい」と言って鉄筋コンクリートを建築をつくったが、ゴチャールが鉄筋コンクリートを使った理由はどうやらキュビズム建築の命題である「ナナメ」にあるらしいのである。
ブラックマドンナのアチック内部は少し不思議な空間である。屋根裏らしく天井が斜めになっているが、その天井を支える壁もまた斜めに傾いている。構造からしてキュビズムで、控えめな外観に反して何とも大胆な造りになっている。この斜めの壁は普通は天井だけを支えるものだから、普通に考えれば木で掛けても十分なのだが、このブラックマドンナに関してはそうは行かない。何故ならゴチャールは、アチックの上にさらにアチックを載せるという、変則的な意匠を(構造を?)試みているからだ。そのため、この斜めの壁は天井を支えると同時に床の重力も支えなければならなくなってしまったのである。そうなるともはや木で支えるのは無理、鉄骨の柱でも無理、そこで鉄筋コンクリートの登場となったわけである。
ここで、私としてはどうしても不思議なことが一つある。キュビズム建築家のゴチャールが「ナナメ」の線に拘ったのはわかるけれど、どうしてアチックを二つ重ねるようなことをしたのだろうか?そこだけはかなり奇異なデザインと思われるのだが。
それが一般論かどうかは不勉強な私にはわからないのだが、一つには階段ピラミッドだろうとの説がある。ゴチャールはこの数年前に行なわれた旧市庁舎のコンペで階段ピラミッド状の建物を提案していたらしい。ブラックマドンナの大きさの異なる箱を積み重ねたような外観もピラミッド状と言えないこともない。この頃のゴチャールは世界最古の大建造物が持つ幾何学的形態に何らかの拘りがあったのであろうと。そして、このピラミッド型をもっと進めて考えると、昔ながらのヨーロッパの階層意識の現われではないかというのである。実際にそうなのだとすると、新しい構造、新しい建築材、独自のデザインで建てられたはずのキュビズム建築も、まだまだ精神的には過去の遺物から自由になりきれていなかったということになる。やはり、キュビズム建築家たちは、狭間の建築家だったということになるだろうか・・・。
この建築で最も魅力的なのは何といってもこの階段。キュビズムに興味がなくても、この階段はキュビズム美辞術間の外にあたるので、プラハを訪れたなら絶対に見ておきたい。
階段の見上げ
キュビズム階段と言っても、手摺は流麗なカーブを描く。
階段の登り口
ブラックマドンナの2Fはカフェ・オリエントという人気のカフェ。キュビズムのコート掛けなど、キュートなデザインに会える。ピアノの生演奏も素敵。ゴチャールの胸像もある。
ハーブティーとアップル・シュトゥルーデル。値段はとてもリーズナブル。キュビズムデザインのカップも可愛い。これはティーカップだけど、コーヒーカップはかなり素敵だった・・・。
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