カフェ スラヴィア

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国民劇場の前にあるカフェ・スラヴィア。店内からヴルタヴァ川が見えることとアール・デコの内装で有名なこのカフェは、1800年代に創業した老舗のカフェである。創業当時はチェコの演劇人や作家、画家、政治家の溜まり場だったと言われている。

このカフェは詩人のリルケが通っていたため当時のプラハの若い娘達の間で「リルケ・ランデブー」と呼ばれていたと言う話が、「プラハの日々」というインド小説の中で紹介されている。インド人留学生でガイドをしている主人公と旅行客の女性との恋愛小説らしいのだが、インドの小説なので日本語訳はなく私はあらすじを聞いただけで実際の内容は知らない。聞く限りではなんとなく哲学的な感じで興味をそそられた。英語訳はあるようだったが、これもなかなか入手できそうにないのが非常に残念だ。ただこのエピソードは、リルケ会いたさにカフェに通う女の子たちの姿を想像するとなんだか微笑ましくてとても気に入っている。

ちなみに、リルケが通ったのは「国民カフェ」とする本もあるようだ。この「国民カフェ」がどこのカフェを指しているのか少し調べてみたがわからなかった。このカフェ・スラヴィアが国民通りにあり、「スラヴィア」という民族の名前を冠していることを考えると、このカフェのことではないかと思うのだが・・・。

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カフェ・スラヴィアはケーキがとてもおいしいと評判。写真はホット・アップル。サンドイッチのような軽食だけでなく、本格的なチェコ料理も食べることが出来る。

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3つの白薔薇館

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「プラハに行ったらハードロックカフェでピンズ買って来てね。旧市街広場に出来たらしいから絶対通るはずだし。」

プラハ旅行の直前、姉からメールが来た。なんでもチェコ初のハードロックカフェが最近オープンしたらしいのである(といっても08年年末の話だけど)。私の実家では海外へ行ったら必ずハードロックカフェのご当地ピンズを買って来ることになっていて、おかげで私自身も結構な数のコレクションが収集されつつある。

旧市街広場は確かに何度も通るところだが、折りしもクリスマス市が開かれているため、全く見通しが利かない。それでもハードロックカフェのことだから派手な看板が出ているはずだしそのうち見つかるだろうと鷹をくくっていたのだが一向に見つかる気配がない。散々周辺を歩き回ってみて、旧市街広場から一歩入った小さな広場(マレー広場というらしい)でやっと見つけた。

上の写真のファサードの繊細な壁画が美しいいかにもプラハの伝統的な館らしい建物が、チェコ初と噂のハードロックカフェである。情報に誤りがあったのも問題だったが、何よりもあのいつもの派手な看板がなかったのが問題だった。建物の1階入口上に小さく「HARD ROCK CAFE」と書いてあるだけなのである。あの派手なマークを探して歩いていたから余計にわかりにくかった。やはり、京都のマクドナルドのMが茶色なのと同じで、美観を損ねるという理由で許可されなかったのだろう。どうせなら、あのギターのマークで小さな標識を造ってくれれば話のネタになったのに・・・。

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この館は「3つの白薔薇館」と呼ばれているらしいが、もとはロッツ金属商会の建物だったらしい。設計はL・ノヴァークとA・オフボァーであることはわかったが、何年頃に建てられたものかはわからなかった。

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軒下に半円形のレリーフを連ねるのはボヘミアン・スタイルによく見られる装飾。

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驚くほど繊細な壁絵。建物のファサードを絵で飾る装飾はルネサンス期から始まったようだ。プラハにはこのように壁絵が美しい建築が数多く残っている。

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プラハ中央駅のカフェ

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ビザンチンを思わせるような壮大なドーム、雑誌で見た迫力満点のそれはプラハ中央駅にあるカフェの写真だった。大胆にカットされた半ドームの凹面にテーブルや椅子が並ぶ様子は、衝撃的にかっこよかった。建築博物館と言われるプラハだけに駅のカフェまで豪華だと妙に感動したものである。

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プラハ中央駅は1909年初期プラハアールヌーボーを代表する建築家Jファンタの手により建てられた。建設当時はまだオーストリア領であったためフランツ・ヨーゼフ皇帝駅という名前だったそうだ。1900年といえばハンガリーが事実上の独立を果たして間もない頃であり、これまで同等の立場であったチェコでもハンガリーとは違った意味で民族主義が高まった時代だった。チェコの世紀末建築は、近代建築の走りとなったJコチュラを境にしてファンタやポリーフカ、オーマンのようなチェコの伝統的様式からアール・ヌーヴォーを展開した前期の建築家とコチュラの教え子でありながらその普遍性に反発し、その合理性を受け継ぎながらも独自のチェコ建築を確立しようとしたゴチャールやヤナーク、ホホルといったキュビズムの建築家のグループに分かれているようだ。同じ民族主義の発露としての建築であるが、その様式の違いには驚かされる。

無骨な二つの塔と赤い段々状の切妻壁、正面にガラス張りの大アーチを持つファサードは工業的な匂いが強く少々野暮ったい感じがするが、冒頭のドームは素晴らしくアール・ムーヴォーらしからぬダイナミックな空間に驚かされる。チェコは長距離移動移動でも電車よりバスの方が安くて早い為駅へ向かう機会は少ないかもしれないが、ここは是非とも訪れておきたい場所である。

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この駅は3階建てで、1階が切符売り場、2階がホームへ向かう通路、3階にカフェとホームがある。2階の通路の一部が吹き抜けになっており、上階のドームを見上げることができる。大きな荷物を持った旅行客もここでは一瞬立ち止まって、その美しいドームに見とれるのである(写真下方の手すりの奥が吹き抜けの穴)。

しかしこの空間は建設当初の用途は何だったのだろう。見た感じは、切符売り場だったようなのだけれど・・・。

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中央の装飾

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ファサードのガラス張りの大アーチを中から見る。

ちなみにこのカフェはファサードすぐの場所にあり、吹き抜けになっている構造もあり、冬お茶をするには寒い。

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中央駅ホーム

この頃のヨーロッパの駅は綺麗だ。

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ネルドヴァ通りのカフェ

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カレル橋からミクラーシュ聖堂のあるマラーストラナ広場を横切りストラホフ修道院へと登って行く道はプラハの観光客が誰でも一度は通るであろうメジャーな観光ルートである。そのネルドヴァ通りの中程に小さなカフェが坂の下方に向かって扉を開いている。扉の真ん中には赤い「茶」という大きな文字。何となく可愛らしい。このような立地にあるカフェやレストランはヨーロッパの坂のある街ではよく見かけるが、日本ではあまりないような気がする。特に京都ではありえないためか、妙に惹かれるものがある。

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こういう感じで道に出っ張っているのだ!手前の扉が開くと上の写真になる。

中に入ると7テーブルほどのこじんまりした店で殆ど飾り気のない素朴な内装。茶と漢字で書かれているだけあって、日本茶や中国茶も置いてある。通路にも日本っぽいというか中国っぽいというかアジアンテイストな飾り物があった。このカフェの扉口の写真を以前本で見たことがあるが、その写真には中央の「茶」の文字はなかった。割りに最近書かれたものなのだろうか。アジアのお茶を置き始めたのもこの頃なのかな。案外そんな些細な事を考えるのが好きだ。メニューを眺めて、へぇ・・・と思う。チェコではお茶をcajチャイと言うらしい。沢木耕太郎が著書「深夜特急」の中でユーラシア大陸をお茶の単語で分類していたのを思い出す。チャやチャイのようなCで始まる国とティーやテのようなTで始まる国。彼はC文化のアジアからT文化のヨーロッパへと旅を進め、最後にポルトガルで再びcha(シャと発音する)の国に出会ってほっとするのだった。確かにポルトガルはあまりヨーロッパっぽくなく、何となく感覚が日本と似ていると思った覚えが私にもある。イギリス・フランス・ドイツ・スペインとT諸国が連なるヨーロッパにおいてポツンとCの国があるのはとても不思議だと思ったが、チェコもチャイの国だったとは。同じ中欧のハンガリーがアジア系民族であるにも関わらずteaとTの国であることを考えると、ますます不思議なのである。

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写真はホットアップル。特大マグカップで出てくるが、これで約210円。安い・・・。

因みにこのカフェは映画「アマデウス」のロケも行なわれたことがある。モーツァルトが妻と帽子を選ぶシーンなのだそうだが、残念ながら全く記憶にない。記憶にないのになんとなく満足してお茶を飲んでいる私は少し変かもしれない・・・。

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カフェ トラム

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プラハ随一の繁華街ヴァーツラフ広場の中ほどにちょこんと停まっているトラムを見つけた。近づいてみると「カフェ」という文字。どうやら本物のトラムを再利用してカフェとして使っているらしい。広場と言ってもヴァーツラフ大通りと言った方がしっくり来るような細長い広場だから、まるで停留所に停まっているような風情でおもしろい。

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プラハはウィーンの支配下にあった影響なのかカフェ文化が発達している。それもパリのようなハイソでお洒落なカフェではない。鄙びたムードの味のあるカフェが多い。お値段も驚くほど安く、180円くらいからお茶を楽しむことができる。しかもコーヒー、紅茶とも種類が豊富なのが嬉しい。

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窓には「CAFE Trambaj」の文字。Trambajはチェコ語でトラムの意味。

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このカフェの前は何度か通ったのだけれど、結局入れず終いだった。それが少しだけ心残りである。

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ドレクスレル宮殿(カフェ ドレクスレル)

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オペラ座へ行こうと思ってアンドラーシ通りを歩いていたところ、オペラ座の向かい側くらいのところで改装工事中の建物に出くわした。随分綺麗なエントランスだなぁと思い、つい工事中のロープを超えて見学してしまった(すみません)。アンドラーシ通りは由緒正しそうな立派な建物の多い通りではあるが、この改装中の建物は古典的なアーチやヴォールト、繊細な装飾と一際目を引くものだった。これが何なのかはわからないが、なんだかとても得した気分になった。

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旅行から戻って1年も過ぎた頃ブダペスト紀行の本を読んでいて、古いモノクロの小さな写真にふと目が行った。それはかつてそこがカフェだった頃の写真で、上品そうな紳士達が連続する美しいアーチとお洒落なライトの下で談笑したり新聞を読んだりしているのだった。なんか見たことある・・・。これは、あの改装中だった建物じゃないか?自分の撮った写真と見比べたところやはり間違いない。場所もオペラ座の前とあっている。そうなのか、あの瀟洒なエントランスはかつてカフェとして使われたものだったのか・・・。

実はこの建物、レヒネル・エデン若かりし頃の作品なのだそうだ。レヒネルが独自のスタイルを確立する10年ほど前とのことなので、三十代半ばの頃だろうか。アール・ヌーヴォーが花開く前のハンガリーではまずドイツで建築を学ぶのが通常であり、そのため首都ブダペストの建築も折衷主義・様式主義的なものであった。レヒネルもブダペストの工業高校卒業後ベルリン建築アカデミーに留学している。この作品は未だアカデミーの影響から逸脱しない、19世紀的折衷主義の中にある。レヒネルと言えば応用美術館や郵便貯金局しか知らない私には、レヒネルにもこういう時代があったのだということがとても意外であると同時に、これはこれで美しく魅力的だけど・・・と思ったりもするのだった。

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ヴォールトの中心にあるライト吊り下げ部分(1番上の写真参照)の装飾に、僅かにレヒネルらしさが感じられる。

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ファサード中央のバルコニー。ファサード表面はやはりタイルで覆われている。

ちなみに、かつてはカフェがあり、近年には国立バレエ学校として使われてきたこの建築は、今度は5ッ星ホテルに生まれ変わるのだそうだ。また、ブダペストを訪れることがあれば、泊まってみたいものである。

ところで、ドレクスレル宮殿というけれど、いつ宮殿として使われていたのかしらね・・・。

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