劇場・ホール・オペラ座

2009年6月28日 (日)

国民劇場

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プラハに着いた翌朝まず一番に向かったのがナーロドニー通りの西端ブルタヴァ川にぶつかるところにある国民劇場だった。国民劇場のガイドツアーが行なわれるのは唯一日曜日だけで、市民会館同様不定期に行なわれるらしく時間を前もって知ることができない。今回の旅行ではこの日1日しか見学の機会はないので、ひとまず最優先した次第である。実際は0分と30分の30分単位で行なわれるようだが、時間帯によりツアーの言語が異なるようである。

国民劇場というストレートな名前を持つこの建物は、チェコ語によるチェコ人のための恒久的劇場を造ろうとういうスローガンのもとに建てられた民族復興のシンボルとなる建築である。堂々とした佇まいのこの劇場が、市民の寄付で建てられたと言うから驚く。しかもこの劇場は初めからこの姿でここに建っていた訳ではないのである。

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内部に展示されている模型。上から見ると不定形な立地に建てられているのがよくわかる。

現在の国民劇場はチェコ語の劇場としては三代目、石の劇場としては二代目にあたる。オーストリア治下にあった当時のプラハでは公用語はドイツ語であり、唯一あったエステート劇場もドイツ語劇がメインでチェコ語劇はごく稀にしか上演されなかった。そこで民族復興に燃える市民の中で、チェコ人のための新しい劇場をつくろうとの機運が高まったのである。一旦は1862年にイグナーツ・ウルマン設計による木造の劇場が完成した。900人の観客席があったというからそれなりの規模のものであったと思われるが、石の劇場ではないため恒久的建築とは言えない。建築家ヨゼフ・ジーテクの訴えにより、恒久的石の劇場をつくるため再度募金が募られ、設計コンペが行なわれた。コンペではジーテクのネオルネサンス様式の設計案が当選し、これが二代目の劇場となる。ジーテク案の二代目劇場は1881年5月に完成し6月11日に仮開きが行なわれたが、その1日後に火事で消失してしまう。この劇場の建設にあたりオーストリア・ハンガリー帝国の建設許可が下りるまでに5年程も待たされ、その後13年の歳月を経てようやく完成した劇場であることを考えると、市民の落胆は想像して余りある。しかし、そのとき一人の男が「また劇場をつくろう」と帽子を回した。すると人々は競ってその帽子にお金を入れたという。こうして、チェコ人の悲願であるチェコ人のための劇場は三度目にしてようやく完成するのである。

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現在の国民劇場はジーテクの弟子であるシュルツによって僅か二年で建てられた。シュルツに代わったのは、ジーテクの案がウィーンのオペラ座に似ているとして非難されたことと火事の責任を取らされたためらしい。実際にはシュルツはジーテク案を踏襲したため国民劇場はウィーンのオペラ座によく似た外観となったが、当時の人々はこれで納得したのだろうか。そのあたり少し不思議ではあるが、「ヴルタヴァ川の川の黄金の礼拝堂」「再生の聖堂」と呼ばれ大切にされていることを考えると、結果的にはそんなことはどうでもよかったのだろう。

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舞台の中央、装飾のペンデンティブ下あたりに「NAROD SOBE」の文字が刻まれている。「民族が自分自身のために」という意味だそうだ。こけら落としにはスメタナの「リブシェ」というチェコ創世の伝説を題材にしたオペラが上演された。日本は幸いにもこのような民族のアイデンティティの危機を殆ど経験したことがない。幸いなことだと勿論思うけれど、民族的誇りというものに鈍感になっている自分について少し恥ずかしいような複雑な気持ちになった。

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緩いカーブを描く上階席

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天井装飾

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上階を見下ろす

 

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2009年4月26日 (日)

市民会館(スメタナ・ホール)

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プラハのアールヌーヴォーといって真っ先に思い浮かぶのは、ポリーフカとバルシャーネクによる市民会館だろう。完成は1911年、コンサートホールや展示場、レストラン、カフェの入った文化センターである。コンサートホールの名前だけを取って、「スメタナホール」と呼ばれる方が一般的だ。

市民会館はポリーフカとバルシャーネクの協同設計だが、圧倒的に知名度の高いポーリーフカの作品の中で紹介されることが多い。中にはメインはバルシャーネクでポリーフカは助手として携わったとの説もあるが、建物の外観を特徴付けているコーナーのドームと入口周りのデザインがポリーフカらしいためか、どうもポリーフカの作品としての印象が強い。ネオバロックやネオルネサンス等古典スタイルを取りいれた外観のデザインは、「様式のブレンドと過剰な装飾」と表現されるポリーフカの真骨頂といった趣である。

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コーナーの濃いデザイン。半円状のモザイクはK・シュピラルによるもので、民話の一番面を描いたもの。

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コーナーのバルコニー。このバルコニーに面した部屋がムハ(ミュシャ)が内装を手掛けたことで有名な市長の間。ガラス・鉄・電飾といった近代的な材料をふんだんに使用したこの装飾は、R・シャロンとJ・マラトヤの作品と言われている。

二つ置かれている看板は、コンサートの宣伝と市民会館ガイドツアーの告知。市民会館の内部見学はガイドツアーのみ。不定期に行なわれるためここに時間を表示するシステムになっているようだったが、実際には時間の欄は空白になっていた。内部半地下のインフォメーションの窓口にツアーの時間が表示してある。ちなみに入ってすぐのアール・ヌーヴォー装飾の美しいボックスはコンサート等のチケット売り場である。

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バルコニーの見上げ

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コーナー部分の内部

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上の写真のコーナーを入ってすぐの入口

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部屋の表示も豪華

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エレベーター

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ホールの照明

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扉上部のガラスのデザイン

ちなみに、ここまでは無料で見られる。

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スメタナ・ホール 音楽祭「プラハの春」が催されるのはこのホール。

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スメタナ・ホールのガラスのドーム、バロックっぽく楕円形。

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市長の間の入口

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内装をムハが手掛けたことで有名な市長の間。バルコニーへの扉と二つの窓の3枚のステンドグラスが目を引く。

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中央の扉上のステンドグラス

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市長の間 天井には「スラブの団結」と題された円形天井画が広がる。

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市長の間 繊細な化粧漆喰

この市民会館には多数の芸術家が内装に携わっており、ムハが手掛けたのはこじんまりとした「市長の間」一室のみ。ポリーフカは多数の芸術家と組んで仕事をすることが多かったが、彼の強引な主張は芸術家達との摩擦をしばしば引き起こしたという。ムハとの関係がどうだったかは不明。

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市長の間 暖炉前のアイアンワーク

ちなみにガイドツアーにはショートコースとロングコースがあり、ショートコースの場合はスメタナ・ホールから市長の間まででコースが終了する。特別な興味がなければ、ショートコースで十分。

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廊下の装飾 何だか可愛い

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ワインセラーのある部屋

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アメリカン・バーの照明 ここはバーとして営業しているので、ツアーに参加しなくても入れる。

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1Fのカフェ 豪華で美しく一見の価値アリ。

プラハが舞台となっている映画「トリプルX」で、主人公がヒロインを昼食に誘うのがここ。

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2008年9月21日 (日)

国家大劇院

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人口湖にぽっかりと浮かんだチタン製のドーム、ちょっとワクワクするような近未来的シチュエーション。何かを思い出すような・・・?そうだ、「なにわ海の時空館」だ。と思って調べたら、やはり設計は同じ建築家フランスのポール・アンドルーだった。2007年にオープンしたオペラ劇場、音楽ホール、演劇院等を含む大型劇場である。建物の半分以上は水面下に沈めてあるのだそうだ。演劇鑑賞以外の一般公開は行なわれていないので、中を見ることはできなかった。とても残念・・・。この建物、その形から「エッグ」と呼ばれている。水に沈んだ地下の部分も、安藤忠雄のアーバンエッグのイメージで卵形になっていたら面白いのだけど。両端の盛り上がって行く部分が客席で。実際はどうなっているのだろうか。また北京に行くことがあったら、演劇もオペラもわからないけれどチケットを取ってみようかな・・・。

ちなみに、ポール・アンドルーによると「エッグ」は再生のシンボルなのだそうだ。オリンピックを機に生まれ変わろうとしている北京にぴったりな建築だと思った。

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写真ではわかりにくいが、中央の暗い部分が入口へと続く階段。建物へは地下から入るのだ。

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正面から見るとちょっとのっぺりした感じが・・・。

ポール・アンドルーと言う建築家のことは殆ど知らなかったのだが、パリのシャルル・ド・ゴール空港と上海浦東国際空港を設計した人だった。この二つの空港はかなりカッコイイデザインでとても気に入っている空港だ。ド・ゴール空港と浦東国際空港が同じ建築家であることはシャルル・ド・ゴール空港の屋根崩落事故のときに「浦東国際空港は大丈夫か」と話題になったので何となくは知っていたのだが。ちなみに、浦東国際空港の構造設計責任者は、この二つの空港は構造が全く違うし、構造計算はアンドルー氏が行なったものではないので大丈夫と言う感じのミモフタもないようなコメントを出していた。 ヒドイ・・・。

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少しだけ中が透けて見える。この二つの輪のようなものは何?

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