アムステルダム中央駅
19世紀以降、旧港に変わり町の玄関口となった中央駅。完成は1889年、国立美術館の設計で有名なP.J.H.カイペルスとA.L.ファンゲントにより設計された。二つの方塔を持つ中央部とそこから延びる両翼で構成される駅舎は、ネオルネサンス様式をベースにゴシック的な要素をプラスした折衷様式で赤と白の対比がいっそう華やかな印象を醸し出す。
二つの方塔の東側には時計、西側には風向計が設置されている。風車が重要な役割を果たす国だからだろうか。
新しい駅舎について、設置場所には3つの候補が挙がっていたという。
1.ユトレヒト線のためのアムステル川架橋計画と一貫性を持たせるためライツェ広場付近
2.当時開発の真っ最中だった南部方面に沿った場所
3.北部への路線強化を考慮し、ヘッドエイ
1864年に市議会が招集され一旦はライツェ門背後に決まったが、官庁の技師がヘッドエイへの設置を主張。結局政府の圧力の下ヘッドエイに駅が造られることとなった。アムステルダムの海の玄関ヘッドエイは塞がれ新しい陸の玄関が完成した。水上交通から陸上交通への大きな変換を告げるできごとだった。
内部はかなり造り替えられており、風格のある古い駅舎部分は殆ど見られない。工事中のところが多かったので、復元中なのかもしれない。
このアムステルダム中央駅は東京駅のモデルとなったとの説があるが、実際に見てみるとあまり似ていない。前者はとてもゴシック的で後者は古典的なイメージが強い。また、東京駅の設計者である辰野金吾はジョサイア・コンドルの弟子なのに何故オランダ建築をモデルに?とそこも不思議だ。ウィキペディアによると最近では藤森照信等による否定説も出ているとのことだった。
一方、どちらも同じ赤レンガの折衷様式(折衷主義の中での様式は異なる)であり、当時オランダへの視察団も出ている。そしてヨーロッパの大都市の駅は頭端式駅が多いがアムステルダムは当時には珍しい通過式の駅である。モデルは言い過ぎかもしないが参考にはしやすかっただろうという気はするのである。
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