2012年9月15日 (土)

アムステルダム中央駅

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19世紀以降、旧港に変わり町の玄関口となった中央駅。完成は1889年、国立美術館の設計で有名なP.J.H.カイペルスとA.L.ファンゲントにより設計された。二つの方塔を持つ中央部とそこから延びる両翼で構成される駅舎は、ネオルネサンス様式をベースにゴシック的な要素をプラスした折衷様式で赤と白の対比がいっそう華やかな印象を醸し出す。

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二つの方塔の東側には時計、西側には風向計が設置されている。風車が重要な役割を果たす国だからだろうか。

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新しい駅舎について、設置場所には3つの候補が挙がっていたという。

1.ユトレヒト線のためのアムステル川架橋計画と一貫性を持たせるためライツェ広場付近

2.当時開発の真っ最中だった南部方面に沿った場所

3.北部への路線強化を考慮し、ヘッドエイ

1864年に市議会が招集され一旦はライツェ門背後に決まったが、官庁の技師がヘッドエイへの設置を主張。結局政府の圧力の下ヘッドエイに駅が造られることとなった。アムステルダムの海の玄関ヘッドエイは塞がれ新しい陸の玄関が完成した。水上交通から陸上交通への大きな変換を告げるできごとだった。

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内部はかなり造り替えられており、風格のある古い駅舎部分は殆ど見られない。工事中のところが多かったので、復元中なのかもしれない。

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このアムステルダム中央駅は東京駅のモデルとなったとの説があるが、実際に見てみるとあまり似ていない。前者はとてもゴシック的で後者は古典的なイメージが強い。また、東京駅の設計者である辰野金吾はジョサイア・コンドルの弟子なのに何故オランダ建築をモデルに?とそこも不思議だ。ウィキペディアによると最近では藤森照信等による否定説も出ているとのことだった。

一方、どちらも同じ赤レンガの折衷様式(折衷主義の中での様式は異なる)であり、当時オランダへの視察団も出ている。そしてヨーロッパの大都市の駅は頭端式駅が多いがアムステルダムは当時には珍しい通過式の駅である。モデルは言い過ぎかもしないが参考にはしやすかっただろうという気はするのである。

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ホームにはタイル張りの門があり、駅に因んだ絵柄が描かれている。さすがはタイルの国といったところ。

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2011年6月27日 (月)

大阪駅

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2011年5月リニューアルされた大阪駅。正直なところあまり興味はなかったけれど、大阪に用事が出来たついでに立ち寄ってみた。駅ビルの基本設計はスカイツリーやポーラ美術館の日建設計、駅舎屋根はジェイアール西日本コンサルタンツ。

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ホームのエレベーターを上がり改札を出るとガラス張りの連絡通路に出る。これがオープン前高らかに宣伝されていた橋上駅舎というものか。眼下にホームが見えて結構かっこいい。古いホームの屋根がなければ、ロンドンのパディントン駅のような眺望が得られたんじゃないだろうか。残念・・・。

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大屋根の下、ホームと二階改札のある連絡路。そして古いホームの屋根。

古いホームの屋根が外せないのは簡単な話、雨が入り込んでしまうからだ。当初は両端の数メートルを残し全て撤去する予定で、南北の連絡路(2階の改札や時空の広場)からジオラマのように電車を見下ろせるということを売りにしていたらしい。本当にそんなこと思ってたのかなぁと不思議に思った。

建築については全くの素人なのでよくわからないけれど、パースを見た時点で大屋根だけでホームがフォローできるようには見えなかったし、駅自体の機能改善はおまけで新しいショッピングスポットをつくりキタの集客力強化を図ることに全力を尽くしているようにしか見えなかった。大体JRがHPで謳っている「南北へのアクセスの良さ」については、大阪は地下が発達しているので、もともと不便に感じたことがない。むしろ新しい駅ビルを造ったことにより必要になった通路ではないかとも思う。

私が最初に興味がなかったと書いたのは新しい商業施設が出来るという程度の認識しかなかったからで、割り切れているならそれはそれでいいのではないかと思っていた。もともと日本人は機能とデザインを両立させるのが苦手・・・というかその必要性を感じてこなかった民族なのではないだろうか。今後眺望のためにこの古いホームの屋根をどうするか検討されていくようだが、いっそのこと「もとからそんな気なかってん」と言いきって欲しいような気もする。「商売さえ上手くいったらええと思っててん!」と。駅ビルが繁盛すれば電車の利用客も増える。これは大阪を代表する商人の一人、小林一三の考え方でもある。それならそれで大阪らしくて良いと思うが、ヨーロッパの駅のような素晴らしい眺望も念頭においての改修だったとしたら・・・なんとも残念なことだ。

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「時空(とき)の広場」を階段下から見上げる。空港みたいと評判の空間。

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ヨーロッパの駅というより空港のイメージなのは、トンネルヴォールトではなく片流れ屋根を採用したから?

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「時空の広場」の南北には金と銀の時計

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おもちゃみたいな時計を公共の場に置こうとする子供っぽい感性は頂けない。材質と色が悪すぎる。ヨーロッパの駅の時計を意識したデザインであるだけに、安っぽさが目立つ。空港のようと言われる空間が台無しだ。こだわりきれないなら、機能性重視の飾り気無い時計の方がよかった。こういうディテールが意外に大事だったりするのに・・・。

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2011年6月20日 (月)

パディントン駅

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ロンドンからケンブリッジに行こうと思ってパディントン駅に行ったとき、随分昔に会社の先輩が阪急の梅田駅が好きだと言っていたのを思い出した。理由は終着駅っぽいから。ローマ旅行に行った折テルミニ駅を見たときに、ヨーロッパに来たんだなぁととても感動したのだそうだ。テルミニ駅は映画「終着駅」の舞台となった場所であり、先輩はその映画がとても好きだったから尚更だったのだろう。

聞いてから、ナルホドなぁと思った。改札を抜け大きなホームに出ると、電車の頭がずらりと並んでいるのが見える駅。私も初めてロンドンに来たときパディントン駅で同じように感動したことがある。このような駅はヨーロッパの大都市では多く見られるが(それこそ一都市にいくつも)、日本ではあまりメジャーではない。阪急梅田駅はその数少ない駅の一つだから先輩はそう言ったのだ。

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パディントンのような駅を正式には、頭端式駅というらしい。簡単に言うとそこで行き止まりになりになる駅だが、私には今から色んなところへ出掛けますよというように見える。「終着」というより旅の始まりを感じさせるその雰囲気が好きだ。駅舎の完成は1854年。設計はI.K.ブルネルとM.D.ワイアット。3連のガラス屋根の幅は、それぞれ20.7m、31.2m、21.3m。長さは213m。私のコンパクトデジカメでは全く写らないが、大きなガラス屋根の下を多数の線路が並ぶ様子はかなり壮観だ。

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パディントン駅にはクマのパディントンの銅像もある。彼は物語の冒頭、この駅でスーツケースの上に座っているところをブラウン一家に見つけられた訳だが、その通りの姿で座っている。可愛い。

パディントン駅は1999年にリニューアルされ、在りし日のムードを残しつつ美しく便利になっている。電車の待ち時間にカフェでゆっくりお茶などと言うのも、鉄道駅ファンには至福の一時。

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2011年6月 9日 (木)

アントワープ中央駅

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ニューズウィークの選ぶ世界の素晴らしい駅第4位、ベルギーのアントワープ中央駅。折衷主義のネオルネサンス様式でデザインされた宮殿のような駅だ。1998年から通過式の構造にするためリノベーションされた。最初の通過列車は2007年3月に運行し、私が行った2010年には工事は既に終わっていたように見えた。

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設計はLouis Delacenserieというブルージュの建築家。同地のゴシック建築の復元に功績があった。彼のオリジナルとしてはこのアントワープ中央駅(1895~1905)が代表作になる。本人はゴシック建築に精通していたようだが、最初の師が新古典主義の建築家であったらしく、彼も初期の肩書きはそのように名乗っていたようだ。この駅舎が新古典主義で建てられたのもそのキャリアあってのことだろう。一方、鉄・ガラスの素材や色の使用等アールヌーヴォーの影響も濃く、柔軟で進取の気性に富んだ建築家だったのだろうと想像する。

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ガラス部分はクレメント・フォン・ボガード。

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ドームの形は少し変わっている。

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ホームへの入口。上から二番目の写真の裏側にあたる。

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チケットブース

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駅のホーム。何よりかっこいいのは、ホームが大きく2分割され、縦4層に折り重なっているところだ。写真は、第一層に電車、二層にはショップと通路、三層にまた電車が入っている。そしてこの更にもう一層下にもホームがある。これと同じものがもう片側にもあり、その真ん中を階段とエスカレーターが通っている。かなりスタイリッシュで、鉄道ファンでなくともワクワクさせられる光景だ。

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第四層ホームの出口表示。

私はニューズウィークの選んだ第一位であるロンドンのセント・パンクラス駅よりかっこいいと思う。このときアントワープを訪れた第一の目的はこの駅を見るためだったが、セント・パンクラスを見るためにロンドンへ行こうとは思わない。西洋人からするとこのような折衷主義の建築はあまり珍しくはないということなのかもしれない。このあたりの感覚は日本人とは大きく異なるのだろう。いずれにしても、リノベーション前のレトロな建築も後のスタイリッシュなホームもどちらも楽しめる秀逸な駅であることは間違いない。

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2011年6月 3日 (金)

セント パンクラス・インターナショナル駅

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ロンドン、セント パンクラス・インターナショナル駅はニューズ ウィークに世界で最も素晴らしい駅に選ばれた駅である。ユーロスターやイギリスの中央部へ向かう列車が発着する駅だ。

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確かに古い駅を保存しつつ近代的にリノベーションされたこの駅はかなりカッコいい。ヨーロッパのこういう駅は本当に魅力的だ。

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ヴィクトリア朝ネオ・ゴシック様式のもともとの建物はサー・ジョージ・ギルバート・スコットによるもので、駅としては1868年に開業している。全長210mのホームのガラス屋根はウィリアム・バーロの設計でユーロスター乗り入れ時に拡張工事を行なっている。ちなみにユーロスターの乗り入れは2007年11月14日からだそうだ。

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ユーロスターのチケット・ブッキング。この同じ並びにカフェが続きそれはそれはとてもお洒落だ。2階には世界で最も長いシャンパンバーがありこちらもなかなかステキ。

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セント パンクラス駅はまるで宮殿かなにかのようで長くて大きい。映画「ハリーポッター」の何作目かで車で飛ぶシーンがあるが、この時計塔の横を車が通って行くのだ。

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このもともとの建物はセント・パンクラス・チェンバーと呼ばれており、今は5つ星ホテルが入っている。

ところで、ニューズ ウィークの選んだ素晴らしい駅ベスト10の2位以下は下記の通り。

2. ニューヨーク グランド・セントラル

3. ムンバイ Chhatrapati Shivaji

4. アントワープ 中央駅

5. リモージュ ベネディクタン駅

6. パキスタン Lafore 鉄道駅

7. モザンピーク セントラル鉄道駅

8. タイ Hua Hin 鉄道駅

9. マドリッド アトーチャ駅

10. 京都駅、ベルリン ハウプト バンホフ

都市と国が統一されていなくて申し訳ないが、アジアの方はよくわからないもので・・・。ニューヨークのグランド・セントラルは確かテリー・ギリアム監督の映画「フィッシャー・キング」の美しいダンスシーンが撮影されたところではなかったかな?であれば確かに綺麗だったなぁ。私が行ったことがあるのは、ロンドンの他はアントワープ、マドリッド、京都、ベルリン。アトーチャ駅は中が植物園のようになっておりカフェでお茶をしていても気持ちよかったのは覚えている。この駅は評価が高く、色々な本で紹介されているのを見る。私の中では4位のアントワープ中央駅がダントツトップで、他の駅は見たことがないのでわからないがセント・パンクラスが1位ならアントワープの方がステキじゃない?と思うのだが、スタイリッシュという意味ではセント・パンクラスの方なのかなぁ。ベルギー贔屓の私としては少し残念だ・・・。

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2010年3月27日 (土)

メトロ オルタ駅

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地下鉄オルタ駅で、いかにもオルタらしい曲線の柵を見つけた。ブリュッセルの地下鉄もパリのように駅ごとに異なるデザインが施されているようで、オルタ駅にはオルタらしいアイアン・ワークが飾られている。

今は取り壊されてしまったが、かつてはオルタの人民会館がこの付近にあった。その人民会館の一部がこの駅に保存されていると聞いていたが、これがそうだろうか。後で調べてみると、最上階と屋上バルコニーの手摺に使われていたもののようだった。上段の横長のプレートは当時のショップかなにかの看板のようである。

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ヴィクトール・オルタは世界最初のアール・ヌーヴォー建築を建てた人である。才能とパトロンに恵まれ、若い新進の建築家だったオルタにはブリュッセルのブルジョア階級からの依頼が引きをきらなかったという。

一方人付き合いは苦手で後進の育成は殆ど行なわなかったようだ。そんな社交性の欠如のせいもあったのか、後年オルタの才能に嫉妬していたヴァン・デ・ヴェルデに彼のパイオニアとしての役割を否定され、多数のオルタ建築が取り壊しの憂き目にあってしまった。人民会館もその一つである。オルタファンとしては許しがたい行為であるが、長い建築の歴史の中では何度も繰り返されてきたことではある。建築が存在し続けることは色々な意味で難しい。

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それでもこうしてメトロやカフェ(アントワープにある)に建物の一部が生かされているここともあるし、最近人民会館が復元されると言う話も聞いた。ベルギーではやはりオルタは愛されているし、大切にされている。現在モノクロ写真でしか見ることのできない人民会館が実際に姿を現すのはいつ頃だろうか。とても楽しみだ。

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2009年3月28日 (土)

プラハ中央駅のカフェ

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ビザンチンを思わせるような壮大なドーム、雑誌で見た迫力満点のそれはプラハ中央駅にあるカフェの写真だった。大胆にカットされた半ドームの凹面にテーブルや椅子が並ぶ様子は、衝撃的にかっこよかった。建築博物館と言われるプラハだけに駅のカフェまで豪華だと妙に感動したものである。

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プラハ中央駅は1909年初期プラハアールヌーボーを代表する建築家Jファンタの手により建てられた。建設当時はまだオーストリア領であったためフランツ・ヨーゼフ皇帝駅という名前だったそうだ。1900年といえばハンガリーが事実上の独立を果たして間もない頃であり、これまで同等の立場であったチェコでもハンガリーとは違った意味で民族主義が高まった時代だった。チェコの世紀末建築は、近代建築の走りとなったJコチュラを境にしてファンタやポリーフカ、オーマンのようなチェコの伝統的様式からアール・ヌーヴォーを展開した前期の建築家とコチュラの教え子でありながらその普遍性に反発し、その合理性を受け継ぎながらも独自のチェコ建築を確立しようとしたゴチャールやヤナーク、ホホルといったキュビズムの建築家のグループに分かれているようだ。同じ民族主義の発露としての建築であるが、その様式の違いには驚かされる。

無骨な二つの塔と赤い段々状の切妻壁、正面にガラス張りの大アーチを持つファサードは工業的な匂いが強く少々野暮ったい感じがするが、冒頭のドームは素晴らしくアール・ムーヴォーらしからぬダイナミックな空間に驚かされる。チェコは長距離移動移動でも電車よりバスの方が安くて早い為駅へ向かう機会は少ないかもしれないが、ここは是非とも訪れておきたい場所である。

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この駅は3階建てで、1階が切符売り場、2階がホームへ向かう通路、3階にカフェとホームがある。2階の通路の一部が吹き抜けになっており、上階のドームを見上げることができる。大きな荷物を持った旅行客もここでは一瞬立ち止まって、その美しいドームに見とれるのである(写真下方の手すりの奥が吹き抜けの穴)。

しかしこの空間は建設当初の用途は何だったのだろう。見た感じは、切符売り場だったようなのだけれど・・・。

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中央の装飾

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ファサードのガラス張りの大アーチを中から見る。

ちなみにこのカフェはファサードすぐの場所にあり、吹き抜けになっている構造もあり、冬お茶をするには寒い。

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中央駅ホーム

この頃のヨーロッパの駅は綺麗だ。

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2009年3月13日 (金)

パリっぽい風景(メトロの入口)

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二度目のヨーロッパ、旅の始まりはパリだった。空港から街に入って、ギマールのメトロの入口を見つけた。植物の茎を想わせる曲線、花の蕾の形のランプ、レトロな字体、ああパリに来たんだなぁと思った。その前に来たパリはツアーでたった二日だけだったので、二度目のそのときの方が自分としては初めてのパリのような気分で何を見ても目新しく映った。街を歩いていてパリっぽいと思ったものは、エッフェル塔やマンサード屋根、ポン・デ・ザール、そしてメトロの入口だった。マンサード屋根を除くと何れも1900年前後につくられた鉄のものであり、それらを考えると当時パリに何があるのかもロクに知らなかったにも関わらず、ある種明快なイメージを持っていたらしいことに我ながら驚いた。当時の私にとってパリとは、凱旋門でもなくノートルダム大聖堂でもなくオペラ座でもない、ベルエポックの時代こそパリと思っていたようなのである。それは建築不在の時代と言われる19世紀から20世紀モダニズムが生まれるまでの、よく言えば黎明期、一般的には暗黒の時代と呼ばれるパリの長い歴史の中ではごく僅かな期間にあたっている。

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パリにメトロが登場したのはロンドンに遅れること約40年、1900年パリ万博開催の年のことである。国家の威信をかけての大事業であったことは想像に難くない。このメトロの入り口をつくるにあたりコンペが行なわれ、当時30歳の新進建築家エクトール・ギマールの案が採用された。一等の案は実は官学派のデュレという建築家のものだったらしいが、首都鉄道会社社長のべナールは審査委員の決定を不服とし、ギマールに設計を依頼したのだそうだ。デュレの案がどのようなものであったのは知らないが、官学派という言葉から考えると当時一般的だった折衷主義の石の建築だったのだろう。べナールは新しいもの好きだったのか、自宅の食堂にアール・ヌーヴォー様式を取り入れたり、若手の芸術家に共感を示していたらしい。

たまたま首都鉄道会社の社長には理解されていたが、ギマールはじめアール・ヌーヴォーの芸術家は保守的な文化人の非難の対象とされていた。もっともそれは当時のことだけではなく60年代になってもまだアール・ヌーヴォーは悪趣味の代名詞とされていたから無理もない。今でもガルニエ・オペラ座から地下鉄に乗ると、ここの駅だけが大理石のクラシックなデザインであることに気付く。折衷主義の代表的な建築であるオペラ座にあわせてメトロの駅も石でつくったのか、流石パリはこだわりが違うと感心していたのだが、実際のところはそのようであってそのようではない。オペラ座のコンペで、当時既に様々なゴシック聖堂の修復で実績のあったヴィオレ・ル・デュクの設計案に対して無名に近い若い建築家ガルニエの案が採用されたのは1858年のこと。そのガルニエも地下鉄敷設計画が論議されていた1868年にはフランス建築界の重鎮である。ガルニエは1889年の万博のときもエッフェル塔建設について美観を損ねると猛反対し、今回のメトロの駅についても市民がよく目にするものだから芸術作品でなければならず、鉄格子のような梁や鋼鉄製の痩せた骨組みのものであってはならないと抗議している。結局はパリの街はギマールの駅で溢れる訳だが、彼のオペラ座の前だけはクラシックな石の駅がつくられたということである。

余談ながらこのオペラ座のコンペはただこの建築物の設計者を決めるというだけではなく、19世紀前半のフランスにおける二大思想の勢力争いに結末をつけるものでもあった。一つはガルニエの所属するエコール・デ・ボザールのロマンチックな折衷主義。もう一つはゴシックを国民的建築と考えるフランス文化財保護委員会。こちらにはカルメンの作者として有名な作家のメリメやヴィオレ・ル・デュクがいた。オペラ座のコンペ以降は勝利したガルニエの所属するボザールがフランス建築界の主流となる。ガルニエはその著書で、文化財保護委員会のゴシック研究者を、古代建築を模倣するだけで新しい建築を求めないとして非難し、美しい建築をつくるためには過去の時代の建築様式から色々なよいところを寄せ集めて新しい建築をつくる折衷主義の理念が必要だと主張している。しかしながらコンペから30年後アール・ヌーヴォーというその名の通り新しい芸術が生まれたが、その建築の根源にはヴィオレ・ル・デュクの新しい素材による合理的な構造理念がある。ギマールやガウディ、レヒネル等多数のアール・ヌーヴォーの著名な建築家がヴィオレ・ル・デュクの理論に影響を受けた。現在、アール・ヌーヴォーをただの悪趣味の代名詞とするのではなくコルビュジェやミースの唱えるモダニズムを準備した期間とする考え方が広がっているが、このことを考えると長い歴史の中で実際の勝者はどちらだったのだろうとメトロの駅を思い浮かべながらつらつらと考えてみたりするのだった。

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ギマールは地下鉄の駅を鉄製の囲いとランプのみのシンプルなもの、ガラスの屋根付きのもの、小さな駅舎風のものの.3タイプに絞って設計した。材料の鉄とガラスは規格化され納期の短縮と経費の削減が図られた。所謂プレハブリケーションである。これらの大量生産された駅はベルエポックのパリを華やかに彩り、ギマールの名前は時代の記憶と共に永遠に歴史に刻まれることとなる。残念ながら現在では幾つかの例を残すに過ぎず、上の写真のようなタイプが標準となっている。ギマールの設計した駅の中では、駅舎風のものは現存せず、屋根付きのタイプは二例のみ、それでも囲いとランプだけのタイプは比較的多く残っており、世紀末の喧騒と退廃的ムードを今に伝えている。

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2009年2月11日 (水)

メトロ(パリ)

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パリでお気に入りだったサン・ジェルマン・デ・プレの地下鉄ホーム。前回パリの地下鉄の名前を出したのでついでに。お洒落なカフェが多いサン・ジェルマン・デ・プレの駅は旅行中利用率も高かった。有名な話だが、パリの地下鉄は駅ごとに色々な工夫がされていて楽しい。ルーブルの駅では美術館のような展示がされていたり、サン・ドニの駅ではサン・ドニ修道院付属教会の紹介のような写真が貼られていたり、初めて見たときは結構感動したものだった。中でもサン・ジェルマン・デ・プレのホームは秀逸だ。

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こういった装飾もいつからどんな経緯で始まったのだろうと不思議なのだが、パリの地下鉄でもう一つ驚いたのがホームの中にシャツや下着を売っている店があること。飲み物や食べ物ならまだわかるけれど、それって商売になるんだろうか。不思議不思議・・・。

 

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2009年2月 8日 (日)

メトロ(プラハ)

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プラハはあまり広くないので地下鉄に乗る機会はそう多くない。この日は街の中心から少し外れたところにある聖心教会を見るために地下鉄に乗ることに。丁度国立博物館の下から乗ったので、駅の名前もMUSEUM。ホームのデザインがとてもカッコイイ。

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プラハの地下鉄は結構ルールが複雑で難しい。大きな荷物を持ち込むと有料とか乗り換え不可切符は地下鉄のみ乗り換え可、5駅先まで30分有効(乗り換え不可切符じゃなかったのか!)とか。しかも、検札の折に誤りが発覚したら追加料金ではなく、その場で即罰金。罰金は大体2500円くらいでその場で払えなければ4800円くらいに跳ね上がる。検札はしょっちゅう来るから切符は最後まですぐ出るところに持っておくこと、とガイドブックの注意書きも多い。結局私は一度も検札に会わなかったけれど・・・。

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色違いも。

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こんなタイプもある。

パリの地下鉄もそうだったけれど、ヨーロッパの地下鉄はお洒落なものが多いのかも。京都や大阪の地下鉄もこんなだったら通勤も少しは楽しいかな。

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