公共施設

2009年4月26日 (日)

市民会館(スメタナ・ホール)

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プラハのアールヌーヴォーといって真っ先に思い浮かぶのは、ポリーフカとバルシャーネクによる市民会館だろう。完成は1911年、コンサートホールや展示場、レストラン、カフェの入った文化センターである。コンサートホールの名前だけを取って、「スメタナホール」と呼ばれる方が一般的だ。

市民会館はポリーフカとバルシャーネクの協同設計だが、圧倒的に知名度の高いポーリーフカの作品の中で紹介されることが多い。中にはメインはバルシャーネクでポリーフカは助手として携わったとの説もあるが、建物の外観を特徴付けているコーナーのドームと入口周りのデザインがポリーフカらしいためか、どうもポリーフカの作品としての印象が強い。ネオバロックやネオルネサンス等古典スタイルを取りいれた外観のデザインは、「様式のブレンドと過剰な装飾」と表現されるポリーフカの真骨頂といった趣である。

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コーナーの濃いデザイン。半円状のモザイクはK・シュピラルによるもので、民話の一番面を描いたもの。

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コーナーのバルコニー。このバルコニーに面した部屋がムハ(ミュシャ)が内装を手掛けたことで有名な市長の間。ガラス・鉄・電飾といった近代的な材料をふんだんに使用したこの装飾は、R・シャロンとJ・マラトヤの作品と言われている。

二つ置かれている看板は、コンサートの宣伝と市民会館ガイドツアーの告知。市民会館の内部見学はガイドツアーのみ。不定期に行なわれるためここに時間を表示するシステムになっているようだったが、実際には時間の欄は空白になっていた。内部半地下のインフォメーションの窓口にツアーの時間が表示してある。ちなみに入ってすぐのアール・ヌーヴォー装飾の美しいボックスはコンサート等のチケット売り場である。

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バルコニーの見上げ

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コーナー部分の内部

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上の写真のコーナーを入ってすぐの入口

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部屋の表示も豪華

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エレベーター

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ホールの照明

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扉上部のガラスのデザイン

ちなみに、ここまでは無料で見られる。

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スメタナ・ホール 音楽祭「プラハの春」が催されるのはこのホール。

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スメタナ・ホールのガラスのドーム、バロックっぽく楕円形。

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市長の間の入口

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内装をムハが手掛けたことで有名な市長の間。バルコニーへの扉と二つの窓の3枚のステンドグラスが目を引く。

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中央の扉上のステンドグラス

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市長の間 天井には「スラブの団結」と題された円形天井画が広がる。

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市長の間 繊細な化粧漆喰

この市民会館には多数の芸術家が内装に携わっており、ムハが手掛けたのはこじんまりとした「市長の間」一室のみ。ポリーフカは多数の芸術家と組んで仕事をすることが多かったが、彼の強引な主張は芸術家達との摩擦をしばしば引き起こしたという。ムハとの関係がどうだったかは不明。

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市長の間 暖炉前のアイアンワーク

ちなみにガイドツアーにはショートコースとロングコースがあり、ショートコースの場合はスメタナ・ホールから市長の間まででコースが終了する。特別な興味がなければ、ショートコースで十分。

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廊下の装飾 何だか可愛い

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ワインセラーのある部屋

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アメリカン・バーの照明 ここはバーとして営業しているので、ツアーに参加しなくても入れる。

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1Fのカフェ 豪華で美しく一見の価値アリ。

プラハが舞台となっている映画「トリプルX」で、主人公がヒロインを昼食に誘うのがここ。

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2009年2月13日 (金)

パリ市庁舎

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美術館「えき」KYOTOでロベール・ドアノー展が開催されている。ドアノーは日本でも妙に流行った写真家なので、写真に特別興味のない私でも何点かの作品はよく知っている。多分流行ったのはバブル期だったと思うのだが、あの頃どこにいってもドアノーのいかにもパリっぽいお洒落なモノクロ写真が飾ってあった。中でも有名なのは、人ごみの中で男女がキスをしている写真。いかにもパリジャンっぽい男性の髪のフワフワ感とストールのラフな巻き方がいい感じで、この人正面から見てもカッコイイのかなぁと見る度に気になっていた。その男女のバックにぼんやりと写っているのが、このパリ市庁舎である。ちなみに、このドアノーの写真のタイトルは「パリ市庁舎前のキス」というのだそうだ。

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冬には市庁舎前の広場にスケートリンクやメリーゴーランドが出来て夜でも賑やか。

パリ市庁舎の歴史は古く、ルイ14世の時代から現在に至るまでこの場所から位置は変わっていない。建物自体は増改築を繰り返しているのでなんとも言えないが、1770年頃には現在の市庁舎の中核をなす部分は出来上がっていたらしい。その後市庁舎は1871年にパリコミューンにより焼失し1882年に再建されたが、これが現在の市庁舎となっている。再建時設計に携わった建築家はバリュー、デペルト、フォルミジェの3名。ただし、ファサードのデザインは旧市庁舎のものを完全復元したものである。

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パリ市庁舎は優美で豪華なネオ・ルネサンス様式。彫像の数が復元前よりも増やされているらしいが、少ない方が屋根のラインが綺麗に見えてよかったような気もする。

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市庁舎の時計

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ロベール・ドアノーは本国では国民的写真家らしく、2006年に11年ぶりの大回顧展がこの市庁舎で行なわれたとのことである(ちなみに2000年は、「パリ市庁舎前のキス」撮影50周年の年だったらしく、市庁舎に垂れ幕がかかったという)。現在京都で行なわれているのはその展覧会の日本巡回展なのだそうだ。できればこの市庁舎の中で見たかったが今となっては致し方ないので、例の男性の正面への手がかりを求めて「えき」へと足を運んだ。当然ながらそれについての収穫はなかったものの、私の中でイメージ写真家程度にしか思っていなかったドアノーという人への認識の誤りはきちんと修正できたので、それはそれで良かったのではないかと思う。基本的にはパリという劇場の中の洒脱な人間ドラマが主題なのだが、かつてのレ・アール(現在は近代建築に取って代わられたが、かつてはベルエポックの香り漂う鉄とガラスの美しい市場だった)やエッフェル塔、ギマールの曲線と女性のセクシーな曲線を重ね合わせた作品など、建築が好きなだけなんだけど・・・という人でも十分に楽しめる写真展である。

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2008年8月28日 (木)

郵便貯金局

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レヒネル・エデンのブダペスト公共建築三部作最後の作品、郵便貯金局。この作品をもってして中世主義を離脱して変幻自在のレヒネル流アールヌ-ヴォーが完成したと言われる。

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白い平らな壁面を付柱によって垂直に分割、波打つように水平に伸びるレンガの蛇腹でリズムをつけている。

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この蜂達は実は付柱の頂きにある巣に向かって登っている。蜂は貯金の象徴なのだそうだ。

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扉口にもマジャールの伝統的な草花模様。見学は中の扉の前まで。

レヒネル・エデンは時々「東のガウディ」と呼ばれることがある。同時代人であり、しかもレヒネルの方が少し年上で活躍しはじめた時期も少し早いことを考えるとこの呼び名は失礼なんじゃないかと思ったりもするのだが、そもそもそう呼ばれる理由はなんなのだろうと思った。「日本のガウディ」と呼ばれる梵寿鋼のときはまさしくそうだなあと思ったが、レヒネルについては全く思わなかった。

つらつらと考えるとレヒネルとガウディの共通点は案外多い。1.二人とも自由なゴシックスタイルからキャリアをスタートしている。2.ヴィオレ・ル・デュクの信奉者である。3.民族意識が強い。4.イスラームの影響が見受けられる。5.タイルという素材の存在感。6.自然をモチーフにしたものが多い。思いつくままに挙げてみるとこんな感じだろうか。ヴィオレ・ル・デュクがアール・ヌーヴォーの理論的裏づけの一端を担っていると言われていることを考えるとレヒネルとガウディが二人とも影響を受けていて当然。それに民族主義とイスラームの影響は意味合いとして被る部分もあるので一つの項目にすべきかもしれない。内容的にはまだまだ整理が必要であるが、やはり比較したくなる二人ではあるのだと思った。

とは言うものの作品を見たときに受けるイメージはかなり違う。それは、マジョリカタイルとジョルナイタイルの色彩の違いかもしれないし、マグレブイスラームとインドイスラームの違いかもしれない。自然モチーフのデフォルメした表現と具象的表現の違いかもしれない。しかしながら、何よりも違う印象を受けるのは、その精神性においてではないかと思う。合理的な精神のガウディと感受性豊かなレヒネル。天井と壁が領域を超えて溶け合う幻想的な空間、胎内回帰願望と言われる浮遊感のある不思議な空間。私はやはり、レヒネルがガウディに似ているとはあまり思わない。

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レヒネルの細部へのこだわりは費用を増大させ、これ以降のブダペストの公共建築では予算を制限する法律ができた。そのためだろう、この郵便貯金局以降、レヒネルはブダペストの公共建築のコンペで締め出され、主役の座をライバルの一派に明け渡すこととなった。

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2008年7月 6日 (日)

国会議事堂(ブダペスト)

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ドナウ川の水辺に佇む繊細なゴシックの躯体に上品なドーム、初めてこの建物の写真を見たとき随分優美な建築があるのだと驚いた。ゴシックにしては高さの強調が弱く水平に広がるその姿が珍しいと思うと同時に、何の用途を持った建物なのか図りかねた。宮殿には見えない、勿論教会でもない。美術館や博物館の類でもなさそうだ。国会議事堂と聞いて成る程なと思ったものの、ナニモノにも見えない、 何らしくもないというこの建物の印象は変わらなかった。

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国会議事堂は当然ながら案内つきでしか入れないので、長い列に並ぶことになる。今回の旅行の主たる目的がこの国会議事堂見学だったから我慢せざるをえないが、1時間半くらい待っただろうか。

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豪華なシャンなシャンデリアが続く

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まずはこの豪華な階段室に圧倒される。柱頭の装飾や尖塔アーチ、柱頭から天井へ伸びるリブ等要所要所にふんだんに金が使われ、天井にはクラシックなフレスコ画、リブの交差する辺りには軽やかなグロテスク模様が描かれている。

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ゴシック、ルネサンス、バロックと様々な様式が見られる。アールヌーヴォー的な柱の草花文様はハンガリーの民族性を感じさせる。この不思議な印象の建物は、分類するならネオゴシックということになるが、様々な建築様式を取り入れた折衷主義が特徴的である。設計者はシュティンドル・イムレ。驚きなのは、完成したのが20世紀に入ってからということだ。建国千年祭での落成を目指していたものの激しい工事の遅れにより、20年の歳月の後にやっと完成。1904年のことだった。工事に時間が掛かったとは言え、着工したのは1884年頃だろうから、ネオゴシックにしては随分遅れた登場である。この国会議事堂建設には、ハンガリーがウィーンの支配から独立した国会を初めて持つことが可能になったという背景があり、国の威信を賭けた建物であり、民族の誇りを感じさせるものでなくてはならなかったのだ。建設にあたっては、イギリスを手本としたという。ロンドンのテムズ河畔にある国会議事堂もゴシックで建てられているが、ゴシックという様式はナショナリズムと結びつきやすい性質があるのかもしれない。

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星型のドームの見上げは、何となくエキゾチック。幾何学的なデザインはイスラームの影響を感じるが、その下のランセット窓はゴシックのイメージ。

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上の写真のランセット窓の下のゴシック的エレベーション。最下部を大アーチが支え、その上にトリフォリウム、クリアストーリーと続く三層式立面の上にドームが載っている。

ちなにみこのドームの下に、国宝中の国宝歴代の王が戴冠式に使った王冠、杓、玉が恭しく展示されている。

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これが有名な王冠。ハンガリーの国章にも使われているため、至る所でお目にかかることになる。上の十字架が傾いでいるところがポイントなのだが、これはローマから初代国王イシュトバーンへと届けられる長旅の最中で十字架が傾いてしまったため。もともと十字架を知らないイシュトヴァーン王は喜んでそのまま被ってしまったのだそうだ。何とも可愛らしいエピソードだが、伝統をそのままに国章に描かれる王冠は今でも傾いだ十字架を頂いている。

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国宝のあるホールを抜けると遂に議場に辿り着く。ここもまばゆいばかりの金で装飾されている。国会議事堂というよりオペラハウスのようである。建築当時の首相ティサは倹約家として知られているが、国会議事堂建設については「倹約は一切無用」と言い切ったと言う。この建設に使われた金の総量なんと40kg。彼の並ならぬ意思に感じ入るばかりである。

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議場の天井部とその立面。繊細なトレーサリーと持ち繰り部分の装飾が美しい。

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持ち送り部分の装飾は、入場チケットにもなっている。ドームや金のバロック的装飾部ではなく、これををチケットにするあたりデザインした人の美的センスの高さが感じられる・・・。

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議員用の談話室の柱には、様々な職業の市民の像で飾られている。上院用下院用(今ではハンガリーは一院制だが、当時は二院制だった)の二つの部屋で200種類の職業の人々が描かれているのだとか。実は絨毯の色もここはブルーに変わっている(入口の豪華な階段等には深紅の絨毯が引かれている)。青は忠誠を表わす色。議員は普通の赤い血ではなく青い血をもって職務を遂行しなければならないという意味なのだそうだ。どこかの国の議員にも見習ってもらいたものである。

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街側からの眺め。ドームはバットレスとフライングバットレスで支えられている。

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漁夫の砦から眺める国会議事堂

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マルギット橋からの眺め。この角度からも風情があっていい。ちなみに、最もよく建物が見えるのはバッチャーニ広場(1番上の写真)。

実は、冒頭の文章で「ナニモノでもないし、何らしくもない」と書いたときに、その比喩として安直に「無国籍」という言葉を使おうとしてすぐに不適当だと気づいてやめた。こうやって見ていると、この建物は無国籍どころか、確固たるバックグラウンドを感じる。しかも様々な・・・。ゴシックやルネサンス、バロック、そしてこれまでハンガリーが積み重ねてきた諸所の様式。無国籍というよりは多国籍。トルコ・オーストリア・ソ連といった他国からの干渉を受けながら遂に独立政権を勝ち取ったハンガリーの歴史の重みを感じる建築だと思った。

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