2012年9月21日 (金)

Pythonbrug(アナコンダ橋)

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アムステルダム中央駅からバスで東へ約15分、先鋭的な建築が立ち並ぶウォーターフロントの再開発地区に出る。お目当てはスポーレンブルグ島とボルネオ島を結ぶ赤い歩行者専用橋。大胆にうねる姿が印象的なその橋は、その形状からPythonbrugと呼ばれている。英語で言えばパイソン ブリッジだが、日本ではアナコンダ橋の名で知られている。どちらもニシキヘビのことなので同じことではあるが、パイソン橋ではいけなかったのだろうか。

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アナコンダ橋は長さ90m、中央高さ9.5m。コンクリートの基礎に木製デッキ、鋼の上部構造からなる。2001年、ロッテルダムの環境デザイン集団WEST8設計。WEST8はボルネオ島スポーレンブルグ島の再開発を手がけており、この橋はそのプロジェクトの中の一つである。このWEST8の名前の由来がおもしろく、ロッテルダムの風向と風力を表したものなのだそうだ(西風・風力8)。オランダという国が風ともに生きてきたのだということを、ここでもまた実感させられる。

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この橋はポピュラーメカニクスというサイトの「世界の不思議な橋18」の12位に選ばれている。ほかにはカラトラバやノーマン・フォスター等そうそうたるメンバーの手になる橋が並んでいた。

木製のデッキは階段の蹴上部がスケルトン状になっており、そこから川面が見える。なんだか清々しい気分になる。通行のためというよりも、散歩をするために渡りたくなる。歩道部が鞭をふるったように上下に畝り、周囲の風景の高さを上下に変える。自然に視線に動きが出て、これもなんとなく楽しい。この流線型のシルエットは夜ライトアップされるとカモメが翼を広げて飛んでいる姿に見えるという。見てみたかった。

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橋の上から見た再開発地区。奥にエヘラーとドンヘンヘのホエールが見える。

アナコンダ橋へは・・・

メトロではなくバスを利用。駅前のGVBで無料の交通ガイドがもらえるのでバスの番号はそちらで確認のこと。バスは10分から15分に1本ほどあり、アナコンダ橋は終点で降りる。降りればすぐに橋が見えるので非常に便利。メトロ同様バスも1時間の間は乗り放題なので、橋でゆっくりしても十分に行って帰って来られるくらい(乗車時に切符の刻印を忘れないこと)。途中風車PUBの近くも通るので合わせて計画するのもよいかも・・・。

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2011年11月14日 (月)

アルルの跳ね橋(Pont Van Gogh)

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南仏アルル中心部から南へ3キロ、アルルとポン・ド・ブーを結ぶ運河にゴッホが描いた「アルルの跳ね橋」が再現されている。前回マヘレ橋で触れたのがこの橋で、正式な名称は「ヴァン・ゴッホ橋」という(ゴッホが描いた橋はラングロワ橋というらしいが、ゴッホ人気にあやかって再現したものなので)。建てられた場所は当時とは異なり、ゴッホの絵では橋は石積みの土台の上にのせられているがここではコンクリートである。周囲には何もなく景観も整えられていない。ただぽつんと橋があるだけだ。橋が再現されたのは1960年、長い年月風雨にさらされそれなりの趣は感じられる。

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2011年11月 7日 (月)

マヘレの跳ね橋

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運河が放射状に広がる特徴的な街アムステルダムには無数の橋が架かっているが、最も有名なのがアムステル川に架かるマヘレ橋だろう。アムステルダムに残る唯一の木造跳ね橋なのだそうだ。オリジナルは1671年に造られ、1722年に複葉式の跳ね橋(跳開橋)となった。マヘレ橋とは「ほっそりした橋」という意味だが、この橋を造らせたマヘレ姉妹の名にちなんで付けられたとも言われている。

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マヘレ橋はガイドブック等を見るとゴッホの「アルルの跳ね橋」のモデルとなったと書いてある。ゴッホは南仏アルルに実際に滞在していたわけだし、アムステルダムの橋をモデルにしなければならなかった理由がわからない。現にアルルにもモデルになった橋というものが再現されている。一体どちらが本当なのか?

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ゴッホは「アルルの跳ね橋」をモチーフにした絵を複数描いている。クレラーミュラー所蔵品のように「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」と記されているものもあるのでアルルにあるものが一応の本家と見てまず間違いなさそうである。

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本家のラングロワ橋はアルル中心部から3キロほど行った運河に再現されているが、場所を変えて造ったため橋の下部構造にゴッホの絵と異なる部分があり趣が違うと感じる人も多い。一方マヘレの跳ね橋の下部構造は現在は白く塗られているためわかりにくいが、うっすらとレンガか何かを積み重ねたあとが見え、絵のイメージに近い。このあたりがマヘレ橋がモデルと言われている由縁になっているのかもしれない。

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夏の間(9月末まで)マヘレ橋は夜ライトアップされている。テレビで見たときにはとても美しく見えたが、川幅が広く周囲が暗いため、橋に取り付けられた電飾だけでは少々心許ない。ロマンチックというより淋しかった・・・。

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2011年8月 8日 (月)

ミレニアム ブリッジ

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2000年、イギリスでは来るべき21世紀を記念して様々な都市開発が行なわれた。1894年のタワーブリッジ以来約1世紀ぶりにテムズ川に架けられたこのミレニアムブリッジも、そうしたミレニアムプロジェクトの一つである。ドームやロンドンアイに並ぶプロジェクトの目玉となるもので期待も大きかったようだ。

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ミレニアム ブリッジはノーマン・フォスター、アンソニー・カロ、アラップ社の共同設計。2000年6月10日に竣工したが、横揺れが酷く振幅が7cmにも達したため危険として3日後には閉鎖されてしまった。ドームは企画が悪かったのか人気を得られず、ロンドンアイもトラブル続きであっただけに、イギリスでは大変な騒ぎになったらしい。日本でもニュースで報じられたので、私も何となくは知っていた。

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原因は横方向への剛性が低すぎる設計だったためということらしい。人が歩くことにより発生するほんの少しの横方向の力が、大勢の人が同時に歩くことにより橋に多少の横揺れを起こす。橋の横揺れと人々の歩調が同期し共振することにより、設計者の想定以上の大きな横揺れが発生したようだ。原因の究明と対策に約二年を要し、2002年2月に再開通した。

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ミレニアムブリッジは北のセント・ポール大聖堂、南のテートモダンと新旧のランドマークを繋いでいる。意外にアクセスの悪かったテートモダンがこの橋によってとても便利になった。橋の上から東にタワーブリッジも見え、ただ散歩するのも楽しい。

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歩行者・自転車専用の橋ということもあって、橋へのアプローチはは両岸ともスロープになっている。車椅子でも楽に渡れるバリアフリー設計。

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橋は浅いサスペンション構造。二つのY字型の橋桁が支えている。ノーマン・フォスターによるこの橋のコンセプトは「優雅な剣・光の翼」とのこと。シャープで軽く透明性の高いデザインで、歩行者のテムズ川への視界を上下に妨げないよう配慮されている。

余談ながら、セント・ポール大聖堂のあるシティの紋章は、セント・ジョージの十字架にセント・ポールの剣を組み合わせたデザインの盾をグリフィンが支えるというもの。もしかすると「優雅な剣・光の翼」というコンセプトは、このセント・ポールの剣とグリフィンの翼に因んだものなのかなぁと・・・。テムズ川の上がシティと言えるかどうかは知らないけど。

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2011年7月18日 (月)

タワーブリッジ

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London bridge is falling down,

Falling down,falling down ・・・

テレビなどでいつもこの橋のBGMとしてかかるこの歌、この橋のことじゃない。

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ロンドンの代名詞とも言えるような有名な観光地でありながら名前を勘違いされがちなこの橋は、正しい名をタワーブリッジという。ロンドンブリッジとはまた別の橋である。設計はサー・ホーレス・ジョーンズとサー・ジョン・ウォルフ・バリー、1886年に着工し1894年に完成した。城塞にある塔のようなゴシックリバイバル様式のこの橋は、近隣にあるロンドン塔の景観とマッチするようにデザインされたものだ。タワーブリッジの名前もロンドン塔に因んで付けられたらしい。今では珍しい跳開橋だが、日に2~3度程度開くのだそうだ。当初は水力で動かしていたが、さすがに現在は電力を使用している。

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ミレニアムブリッジからタワーブリッジを見る。手前の緑色の橋はサウスウォークブリッジ。件の歌のロンドンブリッジは、タワーブリッジとサウスウォークブリッジの間にある。とても落ちそうにない近代的な橋だ。「落ちた、落ちた♪」と明るく歌っているので、タワーブリッジの開閉式の部分が降りたときのことを歌っているのだと、子供の頃勘違いしていた・・・(恥かしながら)。因みに、ロンドンブリッジは12世紀に石の橋がかかるまで頻繁に流されていたのだそうだ。まあ、その頃の橋ならどこででも起こっていたような話である。

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ロンドン塔、中世に造られた城塞だけあっていかめしい。タワーブリッジも何となく可愛らしいイメージを持っていたのだが、実際に近くで見ると城砦のような堅固な佇まいで少し驚いた。

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1894年というと華麗なチューダー様式の国会議事堂(1840-64)建設から30年後ということになるが、ロンドン塔との調和を図るため、ゴシックとロマネスクとの過渡期のような量感あるデザインになっている。

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