フランス

2011年11月14日 (月)

アルルの跳ね橋(Pont Van Gogh)

Pvg

南仏アルル中心部から南へ3キロ、アルルとポン・ド・ブーを結ぶ運河にゴッホが描いた「アルルの跳ね橋」が再現されている。前回マヘレ橋で触れたのがこの橋で、正式な名称は「ヴァン・ゴッホ橋」という(ゴッホが描いた橋はラングロワ橋というらしいが、ゴッホ人気にあやかって再現したものなので)。建てられた場所は当時とは異なり、ゴッホの絵では橋は石積みの土台の上にのせられているがここではコンクリートである。周囲には何もなく景観も整えられていない。ただぽつんと橋があるだけだ。橋が再現されたのは1960年、長い年月風雨にさらされそれなりの趣は感じられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月13日 (金)

パリっぽい風景(メトロの入口)

Metroparis4

二度目のヨーロッパ、旅の始まりはパリだった。空港から街に入って、ギマールのメトロの入口を見つけた。植物の茎を想わせる曲線、花の蕾の形のランプ、レトロな字体、ああパリに来たんだなぁと思った。その前に来たパリはツアーでたった二日だけだったので、二度目のそのときの方が自分としては初めてのパリのような気分で何を見ても目新しく映った。街を歩いていてパリっぽいと思ったものは、エッフェル塔やマンサード屋根、ポン・デ・ザール、そしてメトロの入口だった。マンサード屋根を除くと何れも1900年前後につくられた鉄のものであり、それらを考えると当時パリに何があるのかもロクに知らなかったにも関わらず、ある種明快なイメージを持っていたらしいことに我ながら驚いた。当時の私にとってパリとは、凱旋門でもなくノートルダム大聖堂でもなくオペラ座でもない、ベルエポックの時代こそパリと思っていたようなのである。それは建築不在の時代と言われる19世紀から20世紀モダニズムが生まれるまでの、よく言えば黎明期、一般的には暗黒の時代と呼ばれるパリの長い歴史の中ではごく僅かな期間にあたっている。

Metroparis5

パリにメトロが登場したのはロンドンに遅れること約40年、1900年パリ万博開催の年のことである。国家の威信をかけての大事業であったことは想像に難くない。このメトロの入り口をつくるにあたりコンペが行なわれ、当時30歳の新進建築家エクトール・ギマールの案が採用された。一等の案は実は官学派のデュレという建築家のものだったらしいが、首都鉄道会社社長のべナールは審査委員の決定を不服とし、ギマールに設計を依頼したのだそうだ。デュレの案がどのようなものであったのは知らないが、官学派という言葉から考えると当時一般的だった折衷主義の石の建築だったのだろう。べナールは新しいもの好きだったのか、自宅の食堂にアール・ヌーヴォー様式を取り入れたり、若手の芸術家に共感を示していたらしい。

たまたま首都鉄道会社の社長には理解されていたが、ギマールはじめアール・ヌーヴォーの芸術家は保守的な文化人の非難の対象とされていた。もっともそれは当時のことだけではなく60年代になってもまだアール・ヌーヴォーは悪趣味の代名詞とされていたから無理もない。今でもガルニエ・オペラ座から地下鉄に乗ると、ここの駅だけが大理石のクラシックなデザインであることに気付く。折衷主義の代表的な建築であるオペラ座にあわせてメトロの駅も石でつくったのか、流石パリはこだわりが違うと感心していたのだが、実際のところはそのようであってそのようではない。オペラ座のコンペで、当時既に様々なゴシック聖堂の修復で実績のあったヴィオレ・ル・デュクの設計案に対して無名に近い若い建築家ガルニエの案が採用されたのは1858年のこと。そのガルニエも地下鉄敷設計画が論議されていた1868年にはフランス建築界の重鎮である。ガルニエは1889年の万博のときもエッフェル塔建設について美観を損ねると猛反対し、今回のメトロの駅についても市民がよく目にするものだから芸術作品でなければならず、鉄格子のような梁や鋼鉄製の痩せた骨組みのものであってはならないと抗議している。結局はパリの街はギマールの駅で溢れる訳だが、彼のオペラ座の前だけはクラシックな石の駅がつくられたということである。

余談ながらこのオペラ座のコンペはただこの建築物の設計者を決めるというだけではなく、19世紀前半のフランスにおける二大思想の勢力争いに結末をつけるものでもあった。一つはガルニエの所属するエコール・デ・ボザールのロマンチックな折衷主義。もう一つはゴシックを国民的建築と考えるフランス文化財保護委員会。こちらにはカルメンの作者として有名な作家のメリメやヴィオレ・ル・デュクがいた。オペラ座のコンペ以降は勝利したガルニエの所属するボザールがフランス建築界の主流となる。ガルニエはその著書で、文化財保護委員会のゴシック研究者を、古代建築を模倣するだけで新しい建築を求めないとして非難し、美しい建築をつくるためには過去の時代の建築様式から色々なよいところを寄せ集めて新しい建築をつくる折衷主義の理念が必要だと主張している。しかしながらコンペから30年後アール・ヌーヴォーというその名の通り新しい芸術が生まれたが、その建築の根源にはヴィオレ・ル・デュクの新しい素材による合理的な構造理念がある。ギマールやガウディ、レヒネル等多数のアール・ヌーヴォーの著名な建築家がヴィオレ・ル・デュクの理論に影響を受けた。現在、アール・ヌーヴォーをただの悪趣味の代名詞とするのではなくコルビュジェやミースの唱えるモダニズムを準備した期間とする考え方が広がっているが、このことを考えると長い歴史の中で実際の勝者はどちらだったのだろうとメトロの駅を思い浮かべながらつらつらと考えてみたりするのだった。

Metroparis3

ギマールは地下鉄の駅を鉄製の囲いとランプのみのシンプルなもの、ガラスの屋根付きのもの、小さな駅舎風のものの.3タイプに絞って設計した。材料の鉄とガラスは規格化され納期の短縮と経費の削減が図られた。所謂プレハブリケーションである。これらの大量生産された駅はベルエポックのパリを華やかに彩り、ギマールの名前は時代の記憶と共に永遠に歴史に刻まれることとなる。残念ながら現在では幾つかの例を残すに過ぎず、上の写真のようなタイプが標準となっている。ギマールの設計した駅の中では、駅舎風のものは現存せず、屋根付きのタイプは二例のみ、それでも囲いとランプだけのタイプは比較的多く残っており、世紀末の喧騒と退廃的ムードを今に伝えている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年2月13日 (金)

パリ市庁舎

Hvillep2_2

美術館「えき」KYOTOでロベール・ドアノー展が開催されている。ドアノーは日本でも妙に流行った写真家なので、写真に特別興味のない私でも何点かの作品はよく知っている。多分流行ったのはバブル期だったと思うのだが、あの頃どこにいってもドアノーのいかにもパリっぽいお洒落なモノクロ写真が飾ってあった。中でも有名なのは、人ごみの中で男女がキスをしている写真。いかにもパリジャンっぽい男性の髪のフワフワ感とストールのラフな巻き方がいい感じで、この人正面から見てもカッコイイのかなぁと見る度に気になっていた。その男女のバックにぼんやりと写っているのが、このパリ市庁舎である。ちなみに、このドアノーの写真のタイトルは「パリ市庁舎前のキス」というのだそうだ。

Hvillep1

冬には市庁舎前の広場にスケートリンクやメリーゴーランドが出来て夜でも賑やか。

パリ市庁舎の歴史は古く、ルイ14世の時代から現在に至るまでこの場所から位置は変わっていない。建物自体は増改築を繰り返しているのでなんとも言えないが、1770年頃には現在の市庁舎の中核をなす部分は出来上がっていたらしい。その後市庁舎は1871年にパリコミューンにより焼失し1882年に再建されたが、これが現在の市庁舎となっている。再建時設計に携わった建築家はバリュー、デペルト、フォルミジェの3名。ただし、ファサードのデザインは旧市庁舎のものを完全復元したものである。

Hvillep4

パリ市庁舎は優美で豪華なネオ・ルネサンス様式。彫像の数が復元前よりも増やされているらしいが、少ない方が屋根のラインが綺麗に見えてよかったような気もする。

Hvillep3

市庁舎の時計

Hvillep5

ロベール・ドアノーは本国では国民的写真家らしく、2006年に11年ぶりの大回顧展がこの市庁舎で行なわれたとのことである(ちなみに2000年は、「パリ市庁舎前のキス」撮影50周年の年だったらしく、市庁舎に垂れ幕がかかったという)。現在京都で行なわれているのはその展覧会の日本巡回展なのだそうだ。できればこの市庁舎の中で見たかったが今となっては致し方ないので、例の男性の正面への手がかりを求めて「えき」へと足を運んだ。当然ながらそれについての収穫はなかったものの、私の中でイメージ写真家程度にしか思っていなかったドアノーという人への認識の誤りはきちんと修正できたので、それはそれで良かったのではないかと思う。基本的にはパリという劇場の中の洒脱な人間ドラマが主題なのだが、かつてのレ・アール(現在は近代建築に取って代わられたが、かつてはベルエポックの香り漂う鉄とガラスの美しい市場だった)やエッフェル塔、ギマールの曲線と女性のセクシーな曲線を重ね合わせた作品など、建築が好きなだけなんだけど・・・という人でも十分に楽しめる写真展である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年2月11日 (水)

メトロ(パリ)

Metroparis1

パリでお気に入りだったサン・ジェルマン・デ・プレの地下鉄ホーム。前回パリの地下鉄の名前を出したのでついでに。お洒落なカフェが多いサン・ジェルマン・デ・プレの駅は旅行中利用率も高かった。有名な話だが、パリの地下鉄は駅ごとに色々な工夫がされていて楽しい。ルーブルの駅では美術館のような展示がされていたり、サン・ドニの駅ではサン・ドニ修道院付属教会の紹介のような写真が貼られていたり、初めて見たときは結構感動したものだった。中でもサン・ジェルマン・デ・プレのホームは秀逸だ。

Metroparis2

こういった装飾もいつからどんな経緯で始まったのだろうと不思議なのだが、パリの地下鉄でもう一つ驚いたのがホームの中にシャツや下着を売っている店があること。飲み物や食べ物ならまだわかるけれど、それって商売になるんだろうか。不思議不思議・・・。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月28日 (土)

オテル・デ・ザンヴァリッド(アンヴァリッド)

Invalides1_2

オテル・デ・ザンヴァリッド(略してアンヴァリッドと呼ばれることが多い)は、ルイ14世の命により建てられた傷病兵の看護施設で、この種の最も古い施設といわれている。リベラル・ブリュアンにより設計され完成は1675年、中庭のローマ的な重厚さが際立つ建物である。

Invalides13

しかしながら、この建物で最も有名なのは、アルドゥアン・マンサールによるこのドーム礼拝堂。アンヴァリッドには既にサン・ルイ礼拝堂が付属されていたが、その南端に接続してこの新しい礼拝堂が建てられた。前者は兵士の礼拝堂、後者は宮廷礼拝堂となっている。ドーム礼拝堂は方形にギリシャ十字を重ねたようなプランでミケランジェロがサン・ピエトロ大聖堂で発展させた計画案に基づいて設計されたものらしい。中央を次々に突出させ、二段になったドラムの上に黄金のドームを載せたその外観は、非常に特徴的である。

ちなみに、アルドゥアン・マンサールは、マンサード屋根で有名なフランソワ・マンサールの兄弟の孫なのだそうだ。

Invalides14

大小二つのドラムの上にメッキを施された豪華なドームが載せられている。ドームの上にあるのは戦勝記念のトロフィーだ。内径21mの三重殻ドーム。外郭ドームは木造骨組みに鉛版を張って建てられている。

Invalides9

中からドームを見上げる。内殻ドームの装飾は画家ド・ラフォスによる。

Invalides10

豊かなエンタブラチュアを8本の独立円柱が支える。イタリアのバロックを彷彿とさせるようなダイナミックな空間。こういう壮大さはフランスではあまりお目にかからない。

Invalides12

ドームの下にはナポレオンが眠っている。地下の墓所へ入る入口の彫刻は皇帝の冠を捧げ持っている。

Invalides11

直径11m、深さ6mの円形のくぼみにヴィスコンティのデザインによるナポレオンの棺が置かれている。歩いていると床に色々な地名が刻まれているのに気づくが、これはナポレオンが戦った地名である。

アンバリッドはナポレオンの墓所として有名だが、ナポレオンの親族やフランスの有名な将軍の棺も置かれている。フランス国家「ラ・マルセイエーズ」の作者ルージェ・ド・リール(作詞・作曲)もここに眠る。

Invalides15

アーケードで囲まれた重厚な中庭

Invalides2

屋根の上の窓のデザイン

Invalides3

ずんぐりむっくりな兵士は雄雄しいというより可愛らしい。

Invalides4 

窓周りのデザインは様々で凝っている。

Invalides5

中庭を囲むアーチには3方向のものに日時計が描かれている。

Invalides6

上の日時計の柱部分のアップ。とても美しい。

Invalides7

日時計は3つともデザインが違う。これは12星座が描かれている。

Invalides8

アンヴァリッドは一部軍事博物館として公開されているが、今でも100名ほどの戦傷病の兵士が暮らしているのだそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月26日 (木)

ホテル ボーマルシェ

  Hbonmarche6

Hotel Beaumarchais
3, rue Oberkampf
75011 Paris

http://www.beaumarchaisparishotel.com/

今回のホテルはマレ地区にある3ツ星ホテルボーマルシェ。地下鉄オベルカンフ駅、フィーユ・デュ・カルヴェール駅から徒歩5分と近く、SNCF北駅にも地下鉄で二駅と便利なロケーション。

Hbonmarche2_2

部屋のインテリアはカラフルで可愛らしい。

Hbonmarche3_2

だけど、結構狭い。

Hbonmarche4_2

一応バスタブ付きだけど・・・。

ちなみに、朝6時を過ぎないとお湯は出ない。朝シャン派で、尚且つ朝早くから遠方へ出掛ける私には結構ツライ日も。

パリは1月がホテルの金額が上がる時期なので、年末年始の旅行者には厳しい。このホテルは、スタッフの方はとても親切で感じが良かったけれど、ある程度の年齢を過ぎるとキツイかも。

Hbonmarche7_2

朝食で使用されているカップはお土産に購入することもできる。カラフルでとても可愛い。

ちなみにこのカップやグラスは、「MAISONS DU MONDE」というショップのもので、可愛いデザインとロープライスが魅力。フランス各地にあるようで私のお気に入りだったりする。以前マルセイユで見たけれど、かなり大きなショップで品揃えも豊富。女の子のお土産にぴったり。

Hbonmarche5_2

上の写真は、ランスのCHAPELAINS通りにある「MAISONS DU MONDE」。ここもかなり大きなお店だった。

Hbonmarche1_2 

会社の女の子にお土産。「世界の家」という名前だけあって、世界の色々な地域のイメージの食器や雑貨がたくさんあって、選ぶのに迷ってしまう。(って言うか、ブログの趣旨に反してるし・・・。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)