カルタジローネのスカーラ
シチリア島カルタジローネはイタリアンマジョリカの生産地として知られる。通りにはボッテガが併設されたマジョリカ焼きの店舗が並び、色鮮やかな壷や皿が所狭しと置かれている。バルコニーの手摺や橋の欄干、公園の柵に看板と至る所にマジョリカタイルが使用されている様子はいかにも焼き物の町といった風情で見ていて楽しい。中でも有名なのは市庁舎広場からサンタ・マリア・デル・モンテ教会へ登って行くこのスカーラ(階段)である。
スカーラの段数は全部で142段。蹴上げ部分に草花紋や幾何学紋など様々な模様のタイルが嵌め込まれ、階段を美しく飾っている。イタリアのバロック的な町並みにイスラームの色彩が混じる。文明の十字路と言われるシチリアならではの風景だ。
蹴上げの装飾は一段ごとに異なる。142段全てにおいて同じデザインは無いようだった。
描かれているものは、建物や動植物・人物など多岐に渡っている。
イスラームやヨーロッパのこういったタイルの使い方にはいつも驚かされる。日本では一部の例外を除いて、タイルは風呂場や台所等の水周りの壁に使われる程度という貧弱なタイル文化の中で育って来たのだから無理も無い。
多彩なタイルで作品を彩ったモデルニスモの建築家アントニオ・ガウディは一般に『ガウディの装飾論』と呼ばれる覚書の中で「装飾は、過去がそうであったように、現在も未来も彩色されるであろう」と書いている。おそらく古来より人には着色したいと言う願望が東西を問わずあったのだろう。イスラームではこのようなタイルによって、ギリシャ・ローマやビザンチンでは石のモザイクによって建物の壁面や床、場合によっては屋根が彩色された。ヨーロッパでも大理石が豊富に産出されないアルプス北部の国ではタイルが使用されたそうである。
イタリアについて言えば、南部では古い時代にはローマやビザンチン文化の残した石のモザイクが、その後にはタイルが使用されるようになっていったようである。タイルの方が安価であったのだろうこととスペイン王家縁のナポリ王国があったことが大きな影響を与えていると思われる。一方フィレンツェ等トスカーナでは、色大理石のパネルによる優しい色合いのモザイクが主流であるが、これは質の良い大理石が豊富に入手できたからだろう。フィレンツェでもマジョリカタイルのボッテガは繁栄していたが、こちらの地方では皿や壷といった焼き物が主流であり、建物に使用されることはなかったようである。
スカーラの上からの眺めも美しい。
町の外れから中心部を見上げる。海辺のリゾート地の印象が強いシチリアだが、カルタジローネは山間にある。
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