イギリス

2011年9月19日 (月)

大英博物館(グレートコート)

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2007年最もがっかりした観光地という世論調査がイギリスで行なわれた。結果は下記の通り。

1.エッフェル塔 2.ルーブル美術館 3.ニューヨーク タイムズスクエア 

1と3はわからなくもないが、ここにルーブル美術館が登場するとは・・・。大英博物館とナショナルギャラリーを有するイギリスの国民(しかも無料)にとって、ルーブルのコレクションはそれほどでもないじゃないかといったところなのか、それとも長年のライバル意識のなせる業なのか。いずれにしても日本人の私達には思いもよらない結果でなかなか興味深かった。

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荘厳なイオニア式列柱の並ぶファサードから中へ入ると、ガラスの大屋根を頂く明るい大空間に出る。2000年ノーマン・フォスターの設計により改修されたエリザベス二世グレートコートである。20数年前に訪れたときはこの場所は図書館となっており一般には公開されておらず、来館者は狭くて暗い玄関ホールに入ったあとこの広い中庭を避けるようにして展示室を周って行った。このグレートコートが出来たことによって展示室へのアクセスも四方に確保され、インフォメーションやショップ、カフェ、レストラン、トイレ等の機能も集約、広くて複雑だった博物館の動線がすっきりとしたものになった。

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グレートコートは広さ100m×70m。19世紀煮立てられた円形閲覧室を中心に3000枚のガラスが天井を覆っている。このような古典建築の中庭をガラスの屋根で覆い新旧の対比を見せるやり方は古建築の改修ではよくある手法で、ルーブルのマルリーの中庭やローマのカピトリーニ美術館でも見られる。しかし、グレートコートほどの感動を覚えるものはあまりないと思う。ガラス屋根の微妙なうねりが、躍動感のあるダイナミックな空間を演出している。

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本来なら見上げるしかないイオニア式柱頭の真横を歩いて行く体験は少しワクワクする。改修された建築ならではの楽しみ。

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44本のイオニア式オーダーが並ぶギリシャ様式のファサード。1847年にロバート・スマークによりつくられたものだ。「バーティミアス」(魔術師と妖霊が活躍するイギリスのファンタジー)という物語の中で、作者のJ・ストラウドは妖霊のバーティミアスに「城のように背が高く、銀行のようにつまらない建物」と辛らつな批評をさせている。私も含め大方の一般人の感想だとは思うが、スマーク氏は浮かばれないなぁとも思う。スマークはコヴェント・ガーデン劇場のオーダーについてロイヤルアカデミーの建築学教授であったソーンに講義の中で誤りを指摘されたことがあり、この大英博物館ファサードはかなり慎重に作られたと言われている。少々力が入りすぎているきらいはあるものの、なかなかなの傑作なのだそうだ。イオニア式オーダーはアクロポリスのエレクティオンを参考にしたもので、直接ギリシャ建築を参照している例は希少であり、数年来物議を醸しているパルテノン・マーブルのことを考えるとなかなか興味深い(ルネサンスの建築家が見ていたのはローマ建築で、ギリシャ建築は殆ど知られていなかった)。

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パルテノンギャラリー、パルテノン神殿の破風。この右側にもう半分が展示されている。

大英博物館は別名泥棒博物館とも呼ばれている。理由は説明するまでもないが、ヨーロッパの美術館の殆どが同じような経緯でコレクションを形成して行ったであろうことを考えると特に大英博物館だけがこのような別名を持っているのは少し不思議である。イギリス人は正義感が強いのか、皮肉屋さんなだけなのか・・・。

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2011年8月 8日 (月)

ミレニアム ブリッジ

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2000年、イギリスでは来るべき21世紀を記念して様々な都市開発が行なわれた。1894年のタワーブリッジ以来約1世紀ぶりにテムズ川に架けられたこのミレニアムブリッジも、そうしたミレニアムプロジェクトの一つである。ドームやロンドンアイに並ぶプロジェクトの目玉となるもので期待も大きかったようだ。

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ミレニアム ブリッジはノーマン・フォスター、アンソニー・カロ、アラップ社の共同設計。2000年6月10日に竣工したが、横揺れが酷く振幅が7cmにも達したため危険として3日後には閉鎖されてしまった。ドームは企画が悪かったのか人気を得られず、ロンドンアイもトラブル続きであっただけに、イギリスでは大変な騒ぎになったらしい。日本でもニュースで報じられたので、私も何となくは知っていた。

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原因は横方向への剛性が低すぎる設計だったためということらしい。人が歩くことにより発生するほんの少しの横方向の力が、大勢の人が同時に歩くことにより橋に多少の横揺れを起こす。橋の横揺れと人々の歩調が同期し共振することにより、設計者の想定以上の大きな横揺れが発生したようだ。原因の究明と対策に約二年を要し、2002年2月に再開通した。

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ミレニアムブリッジは北のセント・ポール大聖堂、南のテートモダンと新旧のランドマークを繋いでいる。意外にアクセスの悪かったテートモダンがこの橋によってとても便利になった。橋の上から東にタワーブリッジも見え、ただ散歩するのも楽しい。

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歩行者・自転車専用の橋ということもあって、橋へのアプローチはは両岸ともスロープになっている。車椅子でも楽に渡れるバリアフリー設計。

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橋は浅いサスペンション構造。二つのY字型の橋桁が支えている。ノーマン・フォスターによるこの橋のコンセプトは「優雅な剣・光の翼」とのこと。シャープで軽く透明性の高いデザインで、歩行者のテムズ川への視界を上下に妨げないよう配慮されている。

余談ながら、セント・ポール大聖堂のあるシティの紋章は、セント・ジョージの十字架にセント・ポールの剣を組み合わせたデザインの盾をグリフィンが支えるというもの。もしかすると「優雅な剣・光の翼」というコンセプトは、このセント・ポールの剣とグリフィンの翼に因んだものなのかなぁと・・・。テムズ川の上がシティと言えるかどうかは知らないけど。

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2011年8月 1日 (月)

テート・モダン

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テムズ川南岸サウスウォークにあるテート・モダンは2000年にテート・ギャラリーから現代美術のコレクションを移してオープンした美術館だ。大英博物館のグレートコートやミレニアムブリッジ、ヘイズギャレリア等、ロンドンはこの2000年の前後に新しい建築が次々に建てられ、まるで建築バブルの様相を呈している。このテートモダンは中央の細い煙突が示すように元は火力発電所であったものをリノベーションし、美術館に転用したもの。設計はサー・ジャイルズ・ギルバート・スコット。1952年から1981年までバンクサイド発電所として操業していた。アールデコは大体1910年から30年代にかけてのスタイルであることを考えると、少し遅い登場である。

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リノベーションを担当したのはヘルツォーク&ド・ムーロン。日本の青山のプラダや北京の鳥の巣等の設計で知られるスイスの建築家ユニットである。このテートモダンが彼らの実質的な世界デビュー作品となった。ヘルツォーク&ド・ムーロンと言えば、スタイリッシュでユニークな外壁を真っ先に思い浮かべてしまうが、最上階にガラスボックスが付け加えられた程度でほぼ建設当時の姿で残されている。

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中へ入るとタービンホールと名付けられた吹き抜けの大空間に出る。発電所時代タービン室だったのでその名が付けられたのだそうだ。壁には剥き出しの鉄骨が並び、外観のトラディショナルな煉瓦壁とは対照的な印象。構造は鉄筋コンクリートだが、外観の装飾には伝統的なものを使用するケースはアールデコには多い(日本で言えば帝冠様式のような)。

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タービンホールにトップライトからの自然光が降り注いでいたのはインスタレーションの展示室だからかと思っていたら、他の展示室にも普通に窓があった。そういえばイギリスの他の美術館でも自然光が入っているものが多いなぁと思った印象がある。紫外線カットの技術がそれだけ進んだということなのかな。

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テムズ川の眺望が素晴らしい最上階のレストラン・バー。クリストファー・レンのセント・ポール大聖堂とノーマン・フォスターのミレニアムブリッジが正面に見える建築ファンには堪らない観賞スポット。もう少し右に行くと30セント・メアリー・アクス(同じくノーマンフォスター)も見える。この左側にレストランがあり、窓際の席でなくても眺望は楽しめなくもないが、窓を正面にして座れるバーの方がおすすめ。4階かどこかにテラス席のあるカフェ・バーがありそちらも気持ち良さそうだった。

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2011年7月25日 (月)

バターシー発電所

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知人に教えてもらったロンドンのオススメ建築、バターシー発電所(バタシーとも)。このあたりの年代と地域に疎い私は知らなかったが、イギリスのアール・デコを代表する有名な建築なのだそうだ。設計はサー・ジャイルズ・ギリバート・スコット、1933年の作品である。S.G.G.スコットは代々建築家の家系で、イギリスの大建築家サー・ジョージ・ギリバート・スコットは彼の祖父にあたる(セント・パンクラス駅の設計者、ゴシック建築の復元にも功績がある)。サー・ジャイルズ・ギリバート・スコットの作品としては、現在テート・モダンとして知られるバンクサイド発電所やリヴァプール大聖堂、ケンブリッジ大学図書館等があり、1930年代という伝統主義と近代主義が対立する中で常に中立の立場で安定した作品を残したと評価されている。身近なところでは、ロンドンの赤い電話ボックスも彼の設計である。

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階段状のシルエットや表面のシャープな凹凸感がアールデコらしい。

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屹立する4本の白い煙突にはフルーティングが施され、神殿跡のような印象を与える。アールデコの装飾には古典的建築要素を単純化したり、幾何学的に再構築したものも多く使用される。この煙突のフルーティングは凸面が用いられているが、古典のオーダーではフルーティングは凹面のものが多い。

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バターシー発電所はアビィロードと並ぶロンドンにおける音楽ファンの聖地。ピンクフロイドのアルバムジャケットに使用されているためで、私が見に行ったときもファンらしき人を数人見掛けた。上の写真は線路を跨ぐ橋の上から見たところで、塀が高くて上部しか見えないが件のアルバムジャケットはこの辺りから撮影されたものと思われる。私が現地で出会ったカップルは近くの(と言っても覗き見ポイントからはかなり遠い)スーパーに踏み台を調達に行っていた。

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サー・ジャイルズ・ギリバート・スコットの赤い電話ボックスは、海を渡りマルタ共和国でも使用されている。マルタはナポレオンに侵略されフランスの属領にされた折、英国のネルソン提督に援助を要請。その後160年英国に統治された歴史を持つ。この電話ボックスもその名残と思われる。上の写真は首都ヴァレッタの電話ボックス。S.G.G.スコットの電話ボックスは、ヴァレッタでもロンドンでも観光客の記念撮影スポットとして人気を集めていた。

バターシー発電所への最寄り駅は、Vicotoria駅、Pimlico駅、Vauvhall駅.。ピンクフロイドファンでなければ、Pimlico駅から川沿いにチェルシーブリッジあたりまで散策されるのがお勧め。発電所は現在改修工事中らしく周囲は高い塀で囲まれ、川を渡って建物に近づいても殆ど見えない。

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2011年7月18日 (月)

タワーブリッジ

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London bridge is falling down,

Falling down,falling down ・・・

テレビなどでいつもこの橋のBGMとしてかかるこの歌、この橋のことじゃない。

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ロンドンの代名詞とも言えるような有名な観光地でありながら名前を勘違いされがちなこの橋は、正しい名をタワーブリッジという。ロンドンブリッジとはまた別の橋である。設計はサー・ホーレス・ジョーンズとサー・ジョン・ウォルフ・バリー、1886年に着工し1894年に完成した。城塞にある塔のようなゴシックリバイバル様式のこの橋は、近隣にあるロンドン塔の景観とマッチするようにデザインされたものだ。タワーブリッジの名前もロンドン塔に因んで付けられたらしい。今では珍しい跳開橋だが、日に2~3度程度開くのだそうだ。当初は水力で動かしていたが、さすがに現在は電力を使用している。

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ミレニアムブリッジからタワーブリッジを見る。手前の緑色の橋はサウスウォークブリッジ。件の歌のロンドンブリッジは、タワーブリッジとサウスウォークブリッジの間にある。とても落ちそうにない近代的な橋だ。「落ちた、落ちた♪」と明るく歌っているので、タワーブリッジの開閉式の部分が降りたときのことを歌っているのだと、子供の頃勘違いしていた・・・(恥かしながら)。因みに、ロンドンブリッジは12世紀に石の橋がかかるまで頻繁に流されていたのだそうだ。まあ、その頃の橋ならどこででも起こっていたような話である。

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ロンドン塔、中世に造られた城塞だけあっていかめしい。タワーブリッジも何となく可愛らしいイメージを持っていたのだが、実際に近くで見ると城砦のような堅固な佇まいで少し驚いた。

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1894年というと華麗なチューダー様式の国会議事堂(1840-64)建設から30年後ということになるが、ロンドン塔との調和を図るため、ゴシックとロマネスクとの過渡期のような量感あるデザインになっている。

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2011年7月11日 (月)

レドンホール・マーケット

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クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフター」で魅力的なパサージュを見つけた(イギリスだから本当はアーケードという)。お洒落な感じの場所だったのでガイドブックに載っているだろうと高を括っていたら、生憎掲載はなかった。ロンドンにあるという以外に情報がなかったので、見つけるのに少し手間取ってしまったが、どうやらレドンホール・マーケットというところらしい(リーデンホールとも)。

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レドンホールマーケットは1881年サー・ホーレス・ジョーンズにより建てられた。赤と白を基調とした統一感ある洒落たマーケットは、14世紀頃食品市場としてはじまったもの。現在ではレストランやパブなども入っており、夕方5時ともなると仕事終わりの銀行マンでパブなどは大混雑。観光客はちょっと近づけないムードだ。ちなみにサー・ホーレス・ジョーンズはタワーブリッジやギルドホールを建てた建築家で、他にも幾つかのマーケットを手掛けている。

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「ヒア アフター」でマット・デイモンが女性と待ち合わせをしていたのが、このピッツェリアではないかと・・・。店の窓側に二人掛けの席があり、手前から2番目か3番目の席あたりに座って待っていたような?女性はメイフェアに宿泊していたからその近くかと思いきやモニュメント付近とは、優しくないなマット。

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交差部見上げ

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レドンホールマーケットは「ヒア アフター」というよりも「ハリーポッター 賢者の石」のロケ地として有名だ。といっても入口は少し映るが、内部の様子は殆どわからない。

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入口の時計

レドンホールマーケットは地下鉄モニュメント駅から徒歩10分程度。バンク駅からでもそう遠くない。金融街にあるため土日はカフェやパブでさえ店を閉める。店は閉まっていても明かりは付いているので、マーケットの美しさはわかるかも。そうはいってもマーケットは賑わっている方がいいに決まっているので、できれば平日の昼間に訪れるのが望ましい。

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2011年7月 4日 (月)

ヘイズ ギャレリア

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ヘイズギャレリアはテムズ川の南岸、ロンドンブリッジ駅からタワーブリッジへ向かう途中にあるガラスのヴォールトが美しい商業施設だ。19世紀の波止場の倉庫であったものをリノベーションし、現在は洒落たレストランやカフェが軒を連ねている。

19世紀このあたりはヘイズワーフという波止場でインドや中国からの紅茶の主要な荷渡地として賑わっていた。ロンドンに輸入された乾物の80%がこのエリアを通過し、「ロンドンの食料貯蔵室」と呼ばれるほどだったらしい。倉庫であったもともとのレンガ造の建物は1850年頃Sir William Cubittが新しい波止場を造るよう命じられたもので、ヘイズワーフと改名されたのもこの頃であった。最初の所有者アレクサンダー・ヘイに因んで名付けられたものだ。第二次大戦後水運事業もかつての勢いを失い、この波止場も廃れていった。

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1980年から1990年にかけてロンドンブリッジ界隈の再開発が行なわれ、このヘイズワーフもヘイズガレリアとして生まれ変わった。リノベーションはトゥイッグ・ブラウン・アーキテクツ。19世紀の駅(パディントンやヴィクトリアのような)を彷彿とさせるような大きなガラスのヴォールトが印象的だ。ギャレリア全体がテムズ川に直角に位置せず、入口で少し軌道修正するところがなんとも言えずかっこいい。このブレはリノベーション時のデザインではなく、Sir William Cubittの建てたもとの倉庫の形をそのまま継承した結果なのだそうだ。

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ヘイズギャレリアの中心に置かれる船のブロンズ彫刻は、この地での海運業の功績を記念して1987年デヴィッド・ケンプにより造られたもの。「ナビゲーター」という作品らしい。

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面白いなと思ったのは、ガラスのヴォールトを支えるこの鉄骨の柱。細い柱が何本か束になったような形状をしている。これはゴシック様式の線状要素と呼ばれているもので、石の量感を排除し軽く見せるための工夫である。これを鉄の建築に取り入れるあたり、さすがはゴシックの国イギリス。周囲の建築はゴシックではないが上手くマッチしている。

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2011年6月20日 (月)

パディントン駅

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ロンドンからケンブリッジに行こうと思ってパディントン駅に行ったとき、随分昔に会社の先輩が阪急の梅田駅が好きだと言っていたのを思い出した。理由は終着駅っぽいから。ローマ旅行に行った折テルミニ駅を見たときに、ヨーロッパに来たんだなぁととても感動したのだそうだ。テルミニ駅は映画「終着駅」の舞台となった場所であり、先輩はその映画がとても好きだったから尚更だったのだろう。

聞いてから、ナルホドなぁと思った。改札を抜け大きなホームに出ると、電車の頭がずらりと並んでいるのが見える駅。私も初めてロンドンに来たときパディントン駅で同じように感動したことがある。このような駅はヨーロッパの大都市では多く見られるが(それこそ一都市にいくつも)、日本ではあまりメジャーではない。阪急梅田駅はその数少ない駅の一つだから先輩はそう言ったのだ。

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パディントンのような駅を正式には、頭端式駅というらしい。簡単に言うとそこで行き止まりになりになる駅だが、私には今から色んなところへ出掛けますよというように見える。「終着」というより旅の始まりを感じさせるその雰囲気が好きだ。駅舎の完成は1854年。設計はI.K.ブルネルとM.D.ワイアット。3連のガラス屋根の幅は、それぞれ20.7m、31.2m、21.3m。長さは213m。私のコンパクトデジカメでは全く写らないが、大きなガラス屋根の下を多数の線路が並ぶ様子はかなり壮観だ。

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パディントン駅にはクマのパディントンの銅像もある。彼は物語の冒頭、この駅でスーツケースの上に座っているところをブラウン一家に見つけられた訳だが、その通りの姿で座っている。可愛い。

パディントン駅は1999年にリニューアルされ、在りし日のムードを残しつつ美しく便利になっている。電車の待ち時間にカフェでゆっくりお茶などと言うのも、鉄道駅ファンには至福の一時。

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2011年6月 3日 (金)

セント パンクラス・インターナショナル駅

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ロンドン、セント パンクラス・インターナショナル駅はニューズ ウィークに世界で最も素晴らしい駅に選ばれた駅である。ユーロスターやイギリスの中央部へ向かう列車が発着する駅だ。

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確かに古い駅を保存しつつ近代的にリノベーションされたこの駅はかなりカッコいい。ヨーロッパのこういう駅は本当に魅力的だ。

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ヴィクトリア朝ネオ・ゴシック様式のもともとの建物はサー・ジョージ・ギルバート・スコットによるもので、駅としては1868年に開業している。全長210mのホームのガラス屋根はウィリアム・バーロの設計でユーロスター乗り入れ時に拡張工事を行なっている。ちなみにユーロスターの乗り入れは2007年11月14日からだそうだ。

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ユーロスターのチケット・ブッキング。この同じ並びにカフェが続きそれはそれはとてもお洒落だ。2階には世界で最も長いシャンパンバーがありこちらもなかなかステキ。

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セント パンクラス駅はまるで宮殿かなにかのようで長くて大きい。映画「ハリーポッター」の何作目かで車で飛ぶシーンがあるが、この時計塔の横を車が通って行くのだ。

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このもともとの建物はセント・パンクラス・チェンバーと呼ばれており、今は5つ星ホテルが入っている。

ところで、ニューズ ウィークの選んだ素晴らしい駅ベスト10の2位以下は下記の通り。

2. ニューヨーク グランド・セントラル

3. ムンバイ Chhatrapati Shivaji

4. アントワープ 中央駅

5. リモージュ ベネディクタン駅

6. パキスタン Lafore 鉄道駅

7. モザンピーク セントラル鉄道駅

8. タイ Hua Hin 鉄道駅

9. マドリッド アトーチャ駅

10. 京都駅、ベルリン ハウプト バンホフ

都市と国が統一されていなくて申し訳ないが、アジアの方はよくわからないもので・・・。ニューヨークのグランド・セントラルは確かテリー・ギリアム監督の映画「フィッシャー・キング」の美しいダンスシーンが撮影されたところではなかったかな?であれば確かに綺麗だったなぁ。私が行ったことがあるのは、ロンドンの他はアントワープ、マドリッド、京都、ベルリン。アトーチャ駅は中が植物園のようになっておりカフェでお茶をしていても気持ちよかったのは覚えている。この駅は評価が高く、色々な本で紹介されているのを見る。私の中では4位のアントワープ中央駅がダントツトップで、他の駅は見たことがないのでわからないがセント・パンクラスが1位ならアントワープの方がステキじゃない?と思うのだが、スタイリッシュという意味ではセント・パンクラスの方なのかなぁ。ベルギー贔屓の私としては少し残念だ・・・。

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