ハンガリー

2008年9月 9日 (火)

トーネット・ハウス

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ブダペスト一の繁華街と言われるヴァーツィ通り。お土産でも買おうかと思い来てみたけれどめぼしいものはなく、ハンガリーって本当にお買い物は楽しくない国だわと少し淋しい気持ちになる・・・。そんな時ふと目に留まったのがこの建物。バルコニーの手摺や外壁のタイル、浮き彫りレリーフがなかなか美しい。後で調べてみるとこれもレヒネル・エデンの作品だった。1888年から89年にかけて建てられたもので、レヒネルスタイル確立前の作品だ。

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中世的なモチーフに装飾的なタイルの外装、過渡期の建築っぽい。

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屋根の曲線も美しい。

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3Fバルコニーの手摺

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2Fバルコニー

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ここはもともとトーネット家具のショールームだったのだそうだ。現在は化粧品か何かのショップですっかり改装されていたようだった。

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2008年8月31日 (日)

ドレクスレル宮殿(カフェ ドレクスレル)

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オペラ座へ行こうと思ってアンドラーシ通りを歩いていたところ、オペラ座の向かい側くらいのところで改装工事中の建物に出くわした。随分綺麗なエントランスだなぁと思い、つい工事中のロープを超えて見学してしまった(すみません)。アンドラーシ通りは由緒正しそうな立派な建物の多い通りではあるが、この改装中の建物は古典的なアーチやヴォールト、繊細な装飾と一際目を引くものだった。これが何なのかはわからないが、なんだかとても得した気分になった。

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旅行から戻って1年も過ぎた頃ブダペスト紀行の本を読んでいて、古いモノクロの小さな写真にふと目が行った。それはかつてそこがカフェだった頃の写真で、上品そうな紳士達が連続する美しいアーチとお洒落なライトの下で談笑したり新聞を読んだりしているのだった。なんか見たことある・・・。これは、あの改装中だった建物じゃないか?自分の撮った写真と見比べたところやはり間違いない。場所もオペラ座の前とあっている。そうなのか、あの瀟洒なエントランスはかつてカフェとして使われたものだったのか・・・。

実はこの建物、レヒネル・エデン若かりし頃の作品なのだそうだ。レヒネルが独自のスタイルを確立する10年ほど前とのことなので、三十代半ばの頃だろうか。アール・ヌーヴォーが花開く前のハンガリーではまずドイツで建築を学ぶのが通常であり、そのため首都ブダペストの建築も折衷主義・様式主義的なものであった。レヒネルもブダペストの工業高校卒業後ベルリン建築アカデミーに留学している。この作品は未だアカデミーの影響から逸脱しない、19世紀的折衷主義の中にある。レヒネルと言えば応用美術館や郵便貯金局しか知らない私には、レヒネルにもこういう時代があったのだということがとても意外であると同時に、これはこれで美しく魅力的だけど・・・と思ったりもするのだった。

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ヴォールトの中心にあるライト吊り下げ部分(1番上の写真参照)の装飾に、僅かにレヒネルらしさが感じられる。

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ファサード中央のバルコニー。ファサード表面はやはりタイルで覆われている。

ちなみに、かつてはカフェがあり、近年には国立バレエ学校として使われてきたこの建築は、今度は5ッ星ホテルに生まれ変わるのだそうだ。また、ブダペストを訪れることがあれば、泊まってみたいものである。

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2008年8月28日 (木)

郵便貯金局

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レヒネル・エデンのブダペスト公共建築三部作最後の作品、郵便貯金局。この作品をもってして中世主義を離脱して変幻自在のレヒネル流アールヌ-ヴォーが完成したと言われる。

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白い平らな壁面を付柱によって垂直に分割、波打つように水平に伸びるレンガの蛇腹でリズムをつけている。

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この蜂達は実は付柱の頂きにある巣に向かって登っている。蜂は貯金の象徴なのだそうだ。

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扉口にもマジャールの伝統的な草花模様。見学は中の扉の前まで。

レヒネル・エデンは時々「東のガウディ」と呼ばれることがある。同時代人であり、しかもレヒネルの方が少し年上で活躍しはじめた時期も少し早いことを考えるとこの呼び名は失礼なんじゃないかと思ったりもするのだが、そもそもそう呼ばれる理由はなんなのだろうと思った。「日本のガウディ」と呼ばれる梵寿鋼のときはまさしくそうだなあと思ったが、レヒネルについては全く思わなかった。

つらつらと考えるとレヒネルとガウディの共通点は案外多い。1.二人とも自由なゴシックスタイルからキャリアをスタートしている。2.ヴィオレ・ル・デュクの信奉者である。3.民族意識が強い。4.イスラームの影響が見受けられる。5.タイルという素材の存在感。6.自然をモチーフにしたものが多い。思いつくままに挙げてみるとこんな感じだろうか。ヴィオレ・ル・デュクがアール・ヌーヴォーの理論的裏づけの一端を担っていると言われていることを考えるとレヒネルとガウディが二人とも影響を受けていて当然。それに民族主義とイスラームの影響は意味合いとして被る部分もあるので一つの項目にすべきかもしれない。内容的にはまだまだ整理が必要であるが、やはり比較したくなる二人ではあるのだと思った。

とは言うものの作品を見たときに受けるイメージはかなり違う。それは、マジョリカタイルとジョルナイタイルの色彩の違いかもしれないし、マグレブイスラームとインドイスラームの違いかもしれない。自然モチーフのデフォルメした表現と具象的表現の違いかもしれない。しかしながら、何よりも違う印象を受けるのは、その精神性においてではないかと思う。合理的な精神のガウディと感受性豊かなレヒネル。天井と壁が領域を超えて溶け合う幻想的な空間、胎内回帰願望と言われる浮遊感のある不思議な空間。私はやはり、レヒネルがガウディに似ているとはあまり思わない。

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レヒネルの細部へのこだわりは費用を増大させ、これ以降のブダペストの公共建築では予算を制限する法律ができた。そのためだろう、この郵便貯金局以降、レヒネルはブダペストの公共建築のコンペで締め出され、主役の座をライバルの一派に明け渡すこととなった。

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2008年8月23日 (土)

応用美術館(工芸美術館)

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直行便で旅をすることが殆どない私は、ヨーロッパの都市へ着くのは大抵夜である。ホテルへ着くまでの道程ライトアップされた街を見ながら、ここは何処かなーとか、この建築には絶対行こうとか考える時間はとても楽しい。ただ運ばれるままに窓の外を眺めていると次々に魅力的な建物が現れて驚かされる。中には写真等でよく知っているものもあるが、こんなときに見るその建築は街の中によく溶け込んで気負いのない素のままの姿を見せているような気がする。正確にはその建築を目指して今か今かと歩いているときとは、こちらの心持が違うだけなのだが・・・。ブダペストに着いた夜、ライトアップのオレンジと夜の闇に色を消されたレヒネル・エデンの応用美術館を見かけた。フランスルネサンス風のシルエットを持つその建物は予想に反してとても美しく見えた。写真で見たときは、くどいデザインとクセのある配色に少々疑問を感じたのだが、こうやって見るとなかなか魅力的である。なんだか急に興味が湧いてきた。

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応用美術館は1896年、ハンガリーアール・ヌーヴォーを代表するレヒネル・エデンとパールトシュ・ジュラの共同設計により建てられた。レヒネルのブダペスト公共建築三部作の最初の作品で、マジャールの民族様式と近代建築の融合を目指した野心作である。歴史的様式の全体的なシルエットよりも、ジョルナイタイルの配色や要所要所に描かれる民族的な模様、ドームの釣鐘型や手摺の鶏モチーフ等奇抜なデザインが目立ち、建設当初は「ジプシー王の館」と揶揄されたとか。

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屋根のジョルナイタイルと草花模様

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おどろおどろしい入口のデザイン

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入口のジョルナイタイルの天井。マジャールの伝統的な草花文様が描かれている。

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内部は打って変わって鉄とガラスの近代的空間。外観からは想像できない。真っ白に塗られた内部にも外観とのギャップを感じる。当初はカラフルに彩色されていたが奇抜なデザインが物議を醸し、竣工後まもなく入口付近以外は白く塗りこめられてしまったのだそうだ。

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側廊の多弁形アーチは、ムガール様式。ハンガリー民俗学の父J・フスカに共鳴していたレヒネルの「ハンガリー民族芸術の起源はペルシャ・インドにあり」というフスカの学説へのオマージュと言われている。ムガール様式というのは簡単に言うとインド・イスラーム様式のことである。インドにおけるコロニアル様式とも言える。結局マジャール民族の起源はイスラームにあるのか?マーチャーシュ教会で一つの結論にたどり着いたと思ったら、なんだか堂々巡りだ。

ペルシャ・インドというフスカのこの言葉。地域的な意味合いとしか考えていなかった。今でこそイランの隣はインドではないが、アフガニスタンやパキスタンは昔はペルシャ領(~スタンとはペルシャ語で土地のことを意味している)。漠然とその辺りの地域のことかと思ったいたが、よく考えたらそんな意味であってそんな意味ではない。ペルシャ・インドが指すところは、ピンポイントでティムール朝だったのだ。モンゴル帝国の継承政権の一つで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラーム王朝。16世紀初頭にシャイバーン朝に中央アジアが奪われ、王族の一人バーブルがインドに入り打ち立てたのがこの王朝だ。ペルシャとかインドとかの土地をさしているのではなく、このモンゴロイド系の王朝がマジャールの起源だと言っているのだ。世界史に疎い私にはちょっとわかりにくかったかも・・・。

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階段から見上げる天井の様子

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後にレヒネルは地学研究所で天井や柱がぐずぐずと溶けていくような流動的な内部空間を作り出すが、この多弁形アーチがヒントになったのではなかろうか。

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ステンドグラスとバルコニーのうねる手摺。曲線が重なり合う有機的なデザインはレヒネルの真骨頂。

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ここは応用美術館ということで、私には結構楽しかった。実用的なものだから百貨店に来たような感じ?

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中国製のインク壷。キレイ、欲しい・・・。

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ちなみに、この美術館はお金を払えば写真撮影OK。ハンガリーではそれが普通のようだった。

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2008年8月10日 (日)

マーチャーシュ教会

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漁夫の砦のすぐ後ろにカラフルなタイル葺きの屋根が印象的なネオゴシックの教会が建っている。名をマーチャーシュ教会というこの建築は、ロマネスク、ゴシック、バロックと幾度かの改修を重ね姿を変えているらしいのだが、世界遺産の割には情報が少なく、しかも見るものによって記述に差があり、何が本当のことなのかわからなくなってしまった。私なりに調べた結果そうであろうと思うところを書くと、この教会の起源は聖イシュトヴァーンが建てさせた聖母マリア聖堂に求められ、13世紀ベーラ4世によりロマネスク様式に改修、その後ゴシックへとさらなる改修が行われ、15世紀にはマーチャーシュ王が今日も見ることができる立派なゴシック様式の塔を増築した。それ以降この教会はマーチャーシュ教会と呼ばれるようになる。マーチャーシュ王の死後まもなくハンガリーはオスマントルコに占領され、この教会もモスクとして150年の間使用された。その当時は、キリスト教の聖人像や絵はすべて排除され、アラベスク文様が壁一面に描かれたという。そして、ハプスブルク家がトルコからハンガリーを奪回した折にバロック様式に改修され、フランツ・ヨーゼフとエリザベートのハンガリー王・王妃としての戴冠式が行われた。これが1867年のこと。その後1874年からフリジェシュ・シュレクによる改築工事が行われ、全面的にネオ・ゴシック様式に改修された。タイル葺きの屋根もこのときにかけらたものである。

一般的には、この教会はベーラ4世が建てさせたものを始まりとすることが多いようだ。ベーラ4世が建て替えた以前の建物については、言及するには及ばないという見解なのだろうか。また、このベーラ4世がゴシックに改修したとする説もある。13世紀という時期を考えるとロマネスクというよりはゴシックに改修する方が(そしてイシュトヴァーンが建てさせたとされる11世紀の教会がロマネスクだったという可能性も)自然な気もするのだが、何分情報が少なくてよくわからない。

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ロマネスクの重量感が色濃く残るファサード。背の高い向かって右側の塔は15世紀ハンガリー王室の黄金期を築いたマーチャーシュ王が建てさせたものである。マーチャーシュ王は14歳のときにここで戴冠式を挙げ、生涯で二度の結婚についてもこの教会で式を挙げている。しかし、この教会ほどファサードの影が薄い建築も珍しい。ジョルナイタイルの屋根があまりに有名なせいだろうか。

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教会の横にはマーチャーシュ教会と漁夫の砦の模型が置いてある。教会の全体像を把握して中に入ろう。

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中への入口は西正面ではなく、南側にある。上の写真はその入口の上部のタンパンで、西正面よりもゴシックらしい装飾。

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いかにも中世ゴシック的な入口から中へ入ると、思いがけない異質な空間に驚かされた。押さえた色調のフレスコ画が壁や天井を一面に覆い尽くしている。キリスト教の教会なので人物も多数描かれておりそれは非常に美しいのだが、この空間を支配しているのは寧ろ、柱やリブを覆い尽くす幾何学模様や草花紋の存在である。中世ゴシック教会はよく石の森に例えられるが、森の持つひそやかな囁きのようなものはこの教会には感じられない。感じるのは音もなく伸びてゆく草花のしなやかさ、そして土の香り。西欧の深遠な森ではなく、アジアの広大な平原を想わせる。トルコの支配を経験したハンガリーなのでイスラームの影響がこのよう形で表れるのかとそのときは思った。趣が少し違って見えるが、それはイスラームと西洋の文化が混じりあった結果なのだろうと・・・。

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調べてみたところ、これらのフレスコ画は19世紀末、高名なロマン主義の画家セーケイ・ベルタランとロッツ・カーロイによって描かれた。ロマン主義は古典主義の対概念とされる18世紀末から19世紀頃の精神運動である。好まれる主題の中に「はるかなるもの」というものがあり、これは特に自分達の精神的故郷、古代文化をさしている。一方この頃ハンガリーでも盛んだったアールヌーヴォーは、原マジャール的な民芸、伝統的なモチーフを取り入れ民族回帰に結びついた独自の様式を作りだしていた。フスカという人がトランシルバニアに残るフォークアートを収集・研究し多くの芸術家に影響を与えたというが、そのフスカが残した多数のモチーフの絵を見ているとこの教会の柱やリブの模様と繋がるものが感じられる。私がイスラームの影響だと思ったものは、実はハンガリーの民族的なものだったのだ。オーストリアからの事実上の独立に湧くこの時期を体現する装飾。中途半端な知識でものを判断してはいけないのである・・・。

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ちなみにセーケイとロッツはオペラ座の内装にも携わっており、歴史に残る偉大な「マスター」と称されているらしい。ロッツ・カーロイは他にも国会議事堂やブダペストの東駅のフレスコ画も描いている。

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ステンドグラスも独特

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説教壇も独特

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キリスト像の置かれた小礼拝堂

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後陣と中央祭壇

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ヴォールトに描かれたフレスコ画。中央についている人物像がかわいらしい。

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再び外へ。マーチャーシュ王が建てさせた豪華なゴシックの塔。フリジェシュがこの教会をネオゴシックで建替えたのは(一つには時代性なのだろうが)、もしかするとハンガリーの黄金期の姿に戻したかったからではないだろうか。力強く高く聳える塔を見ているとなんとなくそんな気がした。

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2008年7月27日 (日)

ブダペストのケーブルカー

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王宮の丘に建っている19世紀の薫り高いこの建物は、観光客に人気の高いある乗り物の駅。

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3つのボックスを階段状に取り付けたレトロでユニークなケーブルーカーの駅なのだ。

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シックなカラーリングとレトロな形状に似合わず急な斜面をスルスルと昇降しており、車窓の風景をのんびり楽しんでいる暇はない。あっという間にもう一つの駅へと運ばれてしまう。

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斜面の途中にかかる橋の上からケーブルカーを眺める人も・・・。

このケーブルカーは王宮の丘とくさり橋のたもとにあるクラーク・アダム広場を結んでいる。アダム・クラークというのは、くさり橋の建設に携わったスコットランド人技師の名前だ。ちなみにこの広場はハンガリーのゼロ地点、ブダペストから各地への距離はここが基点となって測られるのだそうだ。

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このケーブルカーの開通は1870年世界で二番目に古い登山電車だ。当時は蒸気で動いていたが、今は電動だ。エッフェル塔より20年近く前にこのような乗り物が動いていたとは(エッフェル塔のエレベーターは1889年のパリ万博で人気を博した)、ハンガリーの歴史を知らない私には驚きだった。ハンガリーが独立戦争には負けたものの弱体化したオーストリアから内政権を勝ち取った1867年~第一次世界大戦までの期間、ハンガリーは空前の高度成長期でその成長はヨーロッパでも1番と言われていたのだそうだ。地下鉄もロンドンに次いで世界で二番目に開通しており、当時ロンドンは蒸気だったので電化した地下鉄としては一番と言える。豪華な国会議事堂や漁夫の砦、英雄広場が建てられたのもレヒネル・エデンが活躍したのも丁度この時期で、ブダペスト観光をすることはある種この高度成長期のブダペストを感じることとニアイコールになるのかもしれない。以前パリジ・ウドヴァルのところでも書いたが、ブダペストは新古典主義と世紀末建築が多く、ヨーロッパの首都というとローマを想像する私には随分新しい街に映った。建築史的に言うと、様式重視の時代から合理性・機能性を追求したモダニスムまでの僅かな期間に花開いた個性豊かで華やかな建築、それゆえなのか速やかに終止符を打たれ「断絶の時代」として切り捨てられた19世紀末の建築。中世と近代の間をたゆたう華やかで甘い、新しい時代への期待感と古い時代への郷愁を少々引きずったその独特な空気がなんとなく感じられる・・・。寒い地方の街はあまり好みではないと思っていたが、案外そうでもないと思い直すきっかけになった。

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2008年7月13日 (日)

漁夫の砦

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ブダペスト、王宮の丘の上に御伽噺にでてくるような白い七つの塔を持つ回廊がある。「漁夫の砦」という変わった名前の由来は、中世にドナウの漁師組合がここを守っていたからといわれているが、勿論このネオ・ロマネスクの建物が砦として使われていたわけではない。建国千年祭に向けての市外美化計画の一環として1903年に造られたもので、設計はマーチャーシュ教会を手掛けたフリジェシュ・シュレクが担当している(ちなみにハンガリーは日本と同様に姓・名の順番になる)。

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とんがり帽子のような形はアジアからやってきたマジャール人の遊牧民のテントを、7つの塔はマジャールの7つの部族を表わしている。これはハンガリー人の祖といわれるアールパードがカルパチア山脈の東から他の6人の部族長達を率いてこの地にやってきたという言い伝えからきている。

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写真右側の十字架を頂く回廊は、マーチャーシュ教会の裏手にあたる。漁夫の砦の回廊はこの部分だけデザインが変わるのだが、教会の改修も手掛けたフリジェシュだから、おそらく教会の存在を意識してのことなのだろう。

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漁夫の砦の前にはハンガリー初代国王聖イシュトヴァーンの騎馬像がある。この聖イシュトヴァーンは現在のハンガリーの生みの親と目されている。彼がキリスト教を国教としたことにより、アジアから来たマジャール人の国であるハンガリーはカトリックの国として西洋文化圏の仲間入りを果たしたからである。

余談ながら、イシュトヴァーンはシュテファンのハンガリー語読みなのだそうだ。子供の頃に好きだったファンタジーの登場人物がイシュトヴァーンという名前で、それ以来RPGの主人公につける名前はいつもイシュトだった私としては、随分とイメージが違って少なからずショックを受けてしまった。

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ここが漁夫の砦の入口。漁夫の砦は1Fは無料だが、2Fは有料となっている。ただ鎖がはってあるだけなので、人がいない朝や夜は無料で入れてしまうのだった。

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漁夫の砦は展望台になっている。くさり橋や聖イシュトヴァーン大聖堂、国会議事堂などドナウ川とペスト側の素晴らしい眺望が広がる。こちらは1F。柱越しに見垣間見える風景も風情があっていい感じ。

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こちらは2F、少し上がるだけで雰囲気も随分違う。

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7つの塔の中で最も大きなもの、アールパードの部族ということかしら。

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漁夫の砦は20世紀になってできたものだが、こんな風に見ると中世に迷い込んだような気分になる。

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夕暮れ時の砦。美しい黄昏の空に塔のシルエットが浮かぶ。

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1Fは夏にはカフェが開かれる。

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2008年7月 6日 (日)

国会議事堂(ブダペスト)

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ドナウ川の水辺に佇む繊細なゴシックの躯体に上品なドーム、初めてこの建物の写真を見たとき随分優美な建築があるのだと驚いた。ゴシックにしては高さの強調が弱く水平に広がるその姿が珍しいと思うと同時に、何の用途を持った建物なのか図りかねた。宮殿には見えない、勿論教会でもない。美術館や博物館の類でもなさそうだ。国会議事堂と聞いて成る程なと思ったものの、ナニモノにも見えない、 何らしくもないというこの建物の印象は変わらなかった。

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国会議事堂は当然ながら案内つきでしか入れないので、長い列に並ぶことになる。今回の旅行の主たる目的がこの国会議事堂見学だったから我慢せざるをえないが、1時間半くらい待っただろうか。

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豪華なシャンなシャンデリアが続く

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まずはこの豪華な階段室に圧倒される。柱頭の装飾や尖塔アーチ、柱頭から天井へ伸びるリブ等要所要所にふんだんに金が使われ、天井にはクラシックなフレスコ画、リブの交差する辺りには軽やかなグロテスク模様が描かれている。

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ゴシック、ルネサンス、バロックと様々な様式が見られる。アールヌーヴォー的な柱の草花文様はハンガリーの民族性を感じさせる。この不思議な印象の建物は、分類するならネオゴシックということになるが、様々な建築様式を取り入れた折衷主義が特徴的である。設計者はシュティンドル・イムレ。驚きなのは、完成したのが20世紀に入ってからということだ。建国千年祭での落成を目指していたものの激しい工事の遅れにより、20年の歳月の後にやっと完成。1904年のことだった。工事に時間が掛かったとは言え、着工したのは1884年頃だろうから、ネオゴシックにしては随分遅れた登場である。この国会議事堂建設には、ハンガリーがウィーンの支配から独立した国会を初めて持つことが可能になったという背景があり、国の威信を賭けた建物であり、民族の誇りを感じさせるものでなくてはならなかったのだ。建設にあたっては、イギリスを手本としたという。ロンドンのテムズ河畔にある国会議事堂もゴシックで建てられているが、ゴシックという様式はナショナリズムと結びつきやすい性質があるのかもしれない。

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星型のドームの見上げは、何となくエキゾチック。幾何学的なデザインはイスラームの影響を感じるが、その下のランセット窓はゴシックのイメージ。

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上の写真のランセット窓の下のゴシック的エレベーション。最下部を大アーチが支え、その上にトリフォリウム、クリアストーリーと続く三層式立面の上にドームが載っている。

ちなにみこのドームの下に、国宝中の国宝歴代の王が戴冠式に使った王冠、杓、玉が恭しく展示されている。

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これが有名な王冠。ハンガリーの国章にも使われているため、至る所でお目にかかることになる。上の十字架が傾いでいるところがポイントなのだが、これはローマから初代国王イシュトバーンへと届けられる長旅の最中で十字架が傾いてしまったため。もともと十字架を知らないイシュトヴァーン王は喜んでそのまま被ってしまったのだそうだ。何とも可愛らしいエピソードだが、伝統をそのままに国章に描かれる王冠は今でも傾いだ十字架を頂いている。

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国宝のあるホールを抜けると遂に議場に辿り着く。ここもまばゆいばかりの金で装飾されている。国会議事堂というよりオペラハウスのようである。建築当時の首相ティサは倹約家として知られているが、国会議事堂建設については「倹約は一切無用」と言い切ったと言う。この建設に使われた金の総量なんと40kg。彼の並ならぬ意思に感じ入るばかりである。

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議場の天井部とその立面。繊細なトレーサリーと持ち繰り部分の装飾が美しい。

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持ち送り部分の装飾は、入場チケットにもなっている。ドームや金のバロック的装飾部ではなく、これををチケットにするあたりデザインした人の美的センスの高さが感じられる・・・。

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議員用の談話室の柱には、様々な職業の市民の像で飾られている。上院用下院用(今ではハンガリーは一院制だが、当時は二院制だった)の二つの部屋で200種類の職業の人々が描かれているのだとか。実は絨毯の色もここはブルーに変わっている(入口の豪華な階段等には深紅の絨毯が引かれている)。青は忠誠を表わす色。議員は普通の赤い血ではなく青い血をもって職務を遂行しなければならないという意味なのだそうだ。どこかの国の議員にも見習ってもらいたものである。

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街側からの眺め。ドームはバットレスとフライングバットレスで支えられている。

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漁夫の砦から眺める国会議事堂

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マルギット橋からの眺め。この角度からも風情があっていい。ちなみに、最もよく建物が見えるのはバッチャーニ広場(1番上の写真)。

実は、冒頭の文章で「ナニモノでもないし、何らしくもない」と書いたときに、その比喩として安直に「無国籍」という言葉を使おうとしてすぐに不適当だと気づいてやめた。こうやって見ていると、この建物は無国籍どころか、確固たるバックグラウンドを感じる。しかも様々な・・・。ゴシックやルネサンス、バロック、そしてこれまでハンガリーが積み重ねてきた諸所の様式。無国籍というよりは多国籍。トルコ・オーストリア・ソ連といった他国からの干渉を受けながら遂に独立政権を勝ち取ったハンガリーの歴史の重みを感じる建築だと思った。

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