文化・芸術

2008年4月13日 (日)

オランジュリー美術館

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2006年に待望のリニューアルオープンが行われ、今はまだピカピカのオランジュリー美術館。何故こんなおいしそうな名前がついているのか不思議だったのだが、もともとオレンジの温室だった建物を美術館にしたかららしい。重厚な古典様式のファサードを持つ建物がまさか温室だったとは・・・こういうところがヨーロッパは凄いなと思う。それはさておき、今回のリニューアルの目的はヴァルテール・ギョームコレクションが加わった折に地下に降ろしてしまったモネの睡蓮室を1階に戻し、モネとの約束通り自然光の中で『睡蓮』を鑑賞できるようにすることだった。室内に太陽の光が満ち溢れた、オランジュリーが最もオランジュリーらしかった時代に帰ろうということらしい。このリニューアルにより、日本の地中美術館は、『睡蓮』を自然光の中で見られる世界唯一の美術館ではなくなってしまった。

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オランジュリーは世界で最初のサイトスペシフィックな美術館と言われている。モネが『睡蓮』を寄贈する条件として、一つは自然光の中におくこと、もう一つはオーバルな形の部屋に展示することを要求した。見る人があたかも水中にいるかのような気分で刻々と移り行く光がもたらす『睡蓮』の変化を楽しめるような空間を作りたいという意図からであった。今から20年程前初めてここを訪れたときの感動は今でもはっきりと思い出せる。それまでにも『睡蓮』は他の美術館や展覧会で何度も見たことがあったが、正直何がそんなにいいのか全く分らなかったのだ。

当時モネの睡蓮室は地下にあった。決して広いとは言えない1階の展示を見た後、表示に従って階段を下りる。降りるにつれて徐々に下の方から『睡蓮』の青い画面が視界に広がっていく。それは、広がるというよりも水面が競りあがって最後には水槽の中にすっぽりと包み込まれてしまうような感覚と言った方が近いかもしれない。階下につくと緩やかなカーブを描いた『睡蓮』が迎えてくれる。そのRのせいなのか壁を覆う4枚の絵がとても生き生きと躍動感を持って感じられたのを覚えている。このとき初めてモネの『睡蓮』とはこう言うものだったのかと納得したのだった。

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睡蓮室へ向かう通路

残念ながら(失礼ながら・・・)、リニューアル後モネの睡蓮室は1階に移ってしまい、入口からすんなりと入るようになってしまった。たとえが悪いかとは思うが、ダン・ブラウンの小説のようにタメがなく、物足りなさを感じてしまう(ファンの方すみません。好みの問題です)。私は以前のオランジュリーの方が良かったと思う。モネとの約束は果たせないけれど。

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睡蓮室の様子。入場制限されるので人はそう多くはない。

カルトミュゼを持っていると切符を買う列とは別にしてもらえるので、早く入れる。

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これがモネの『睡蓮』だ!過去二回見たときよりも、色がくすんで見えたのは気のせい?もしかして壁が新しくて真っ白だったからかな?

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オランジュリーは『睡蓮』だけではなく、質の高いコレクションで有名である。ルノワールやローランサン、ユトリロと誰でも知っているような有名画家の作品が多数揃っており、しかもルーブルやオルセーのように広すぎてうんざりするといったこともない程よい広さである。私のように、別段美術が好きなわけではないけどせっかくパリに来たしね、という人にはぴったりの美術館である。

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地下の様子。コンクリートの打ちっぱなしに、ほっそりとしたフライング・バットレス。同じ材料を使っても、地震のない国の建築は日本のものとは少し違う。

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2007年10月19日 (金)

MIHO MUSEUM

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10月初旬の3連休、以前から気になっていたMIHO MUSEUMへ行って来た。この美術館は京都駅の広告を見て知った。迫力ある斜張橋の写真にただMIHO MUSEUMと書かれたものだった。橋と美術館の関係がイマイチわからなかったのだが、ともかく普通の常識の枠にはまらない近代的で立派な美術館なのだろうと勝手に了解した。場所は信楽、そんな田舎に美術館を作って人が来るのかなぁと不思議に思いつつも、京都からはそう遠くないのでいつか行こうと思っていた。調べてみると設計はI・M・ペイ、あのルーブルのガラスのピラミッドを造った建築家だ。どんなモダンな建物が建っているのかとても楽しみになった。

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上の写真の橋へと続くトンネル。

美術館へは、曲がりくねった細い山道を抜けて行くことになる。駐車場に車をとめ、チケット売り場の表示促されて進むと円形広場に面した中途半端な大きさの建物に出る。チケット売り場、レストラン、ギフトショップが別棟になっているらしい。チケットを買うと、本館への行き方はわかりますかと丁寧に聞かれる。わからないようなところなのかと逆に不安になるが、行き方は別に難しくはない。ただ、本館までのアプローチが異常に手が込んでいるのだ。まず桜の並木道を進むとトンネルに出る。そのトンネルを抜けると小さな谷間に斜張橋が掛かっており、その橋の先のちょっとした高台にガラスの入り母屋造りの屋根を頂いた小さな建物がチョコンと建っているのが見える。そのちょこんとした山奥のお寺のような建物が美術館の入口である。周囲の自然を壊さないように建物の80%は地下に埋まっており、入口だけが見えるようになっている。そういう造りの美術館は結構多い。地中美術館しかり、ポーラ美術館しかり。それらの美術館はそれぞれに美しいが、この美術館ほど周囲の景観に溶け込んだものは見たことがない。それはパズルの最後のピースのように、きちんとあるべき場所にあるべき姿ですっぽりと嵌っているのだ。日本人なら誰でも思い浮かべることができるような田舎の小さなお寺。ここで初めてこの凝った長いアプローチの意味がわかったような気分になる。最初の円形広場が駅前で、坂を登ったり、トンネルを抜けたり、川を渡ったりしてやっと村の奥にあるお寺に辿り着く・・・そんな時間軸を作り出すための装置だったのかなと思った。

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美術館本館の入口。ガラスと鉄骨でできているのにこの風情。

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入口の自動ドア。中国の庭園によく使われるムーンゲートのよう。

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エントランスホール、正面の大ガラスの向こうに見える風景がいい。

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エントランスホール、確かにルーブルのガラスのピラミッドの空間を思い出す。

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天井の見上げ

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北館への通路

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北館入口の階段

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中庭がが設けられていたり、外に開く大きなガラス窓があったり、随所に木々の緑が見えるようになっていて心が安らぐ。

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大きなモザイクのある通路。

これまで自分の勝手な解釈を書いてきたが、実際の設計者の意図はパンフレットに書いてあった。テーマは桃源郷。道に迷った漁夫が桃源郷を見つけ出すという陶 淵明の物語を実現したのだそうだ。長いアプローチは道に迷った時間を表していたようだ。桃源郷というよりはどう見ても日本の質素なお寺なのだが、不思議なものである。(ちなみにペイは名前が示すように、中国系アメリカ人)

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2007年10月 9日 (火)

セビーリャカテドラルとヒラルダの塔

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「中世が秋を迎える時、ゴシックも秋を迎える。しかも華やかな秋である。」丹下敏明著『スペイン建築史』の後期ゴシックの章はこのように始まる。その始まりを告げるのが、このセビーリャのカテドラルだ。カテドラルは普通大聖堂と訳されるが、これは文字通りの意味ではない。規模の大小ではなく、司教座のある聖堂を大聖堂という。とは言いながら、このセビーリャ大聖堂は規模としても世界第三位を誇っている(因みに1位はヴァチカンのサン・ピエトロ、2位はロンドンのセント・ポール寺院)。モスクを改装して使用していた旧カテドラルを傷みが激しいため新築することに決定したのが1401年、完成したのは1519年だから約1世紀の期間を要したことになる。奥行116m、幅76m。このプランはとてもゴシックの聖堂とは思えない。

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セビーリャ大聖堂を見ていると不思議な気持ちになる。明らかにゴシック建築なのに、なんだかとても大らかなのだ。おそらく前述の広いプランのためであろうか。計画を決定した僧侶自身が、後代の者に正気の沙汰ではないと思われるだろうと言った広大なプラン。ゴシックは異常なまでの垂直性を示す建築なので、普通プランはこんなに幅広にならない。この広さはモスク跡という土地の性格をそのまま引き継いだものと言われている。また、段差の少ない階段状の身廊も垂直性の軽減に繋がっていると思われる。セビーリャ大聖堂はサロン形式の五身廊でバットレス内に礼拝堂を納め、立面的には階段状の身廊を形成する。その段差は通常のゴシック建築に比較するといかにも小さく安定感があり、ゴシックの上昇志向を和らげている。周囲にはエキゾチックなヒラルダの塔が控え、隣にはイスラームの遺構であるアルカサルの城壁が広がり、街にはパームツリーが溢れている、そういったものが渾然一体となって、この大らかさな大聖堂を造っているように私には感じられた。

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内陣前の交差廊天井。ヴォールトのリブのデザインが美しい。このタイプのデザインはスペインで多く見られる。

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聖具室のドーム。ルネサンス様式なので後の増築と思われる。

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ヒラルダの塔から見下ろす大聖堂。今は変わったかもしれないが、おそらくスーパーサッカーのオープニングに出てくる教会はこれだと思う。

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馬蹄形アーチの奥にキリスト教の聖堂がある。スペインでしかありえない光景。

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夜のヒラルダの塔。ヒラルダの塔は現在は大聖堂の鐘塔だが、もとは12世紀アルモハッド族によって建てられたイスラームのミナレット。方形プランと階段ではなくスロープの使用が北アフリカとの関係を示している。地震で崩壊した頂部を西洋の様式で増築したが、これがまた不思議なもので、ゴシックとかプラテレスコとかルネサンスだとか本によって書かれていることが違う。細部までは高くてよく見えないが、ゴシックにもプラテレスコのようにも見えないのでという非積極的理由により、ルネサンス様式じゃないかと私は思っている。

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細部の繊細なレリーフはイスラーム建築ならでは。

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この大聖堂にはコロンブスの墓がある。この4人はそれぞれ当時のスペインの4つの国、レオン・カスティーリャ・ナバラ・アラゴンの国王である。かつてコロンブスを裏切った王が今はコロンブスの棺を担いでいる。

大聖堂の中はとても暗いため、ちゃんと撮れなかった・・・。

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2007年10月 3日 (水)

セビーリャ・アルカサル

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私が美術館めぐりを始めたわけについては以前書いたことがあるが、セビーリャのアルカサルはそもそも建築めぐりをはじめたきっかけになった建物だ。15年ほど前に会社を辞めて1ヵ月半ほどヨーロッパを旅行した。フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、スイスをまわり最後の目的地になったのがスペイン。残りの日にちもわずかとなりあまり遠くには行けないが、バルセロナ・マドリッド以外にもう一箇所1日だけどこかに行ける・・・どこに行こうと思ってガイドブックを見たときにふと目に留まったのがセビーリャ。言葉の響きがなんかエキゾチックで素敵。今ならマドリッドからAVEで2時間半だが、当時はそんなものはない。バルセロナから夜行で入り、その日の夜にまた夜行でマドリッドへ移動するというヘヴィな日程で出かけた。その時に出会ったのがこのアルカサル。パリのノートルダムやノルマンディのモン・サン・ミシェル、ケルンのドムもヴァチカンのサン・ピエトロ寺院もバルセロナのサグラダ・ファミリア、スイスのマッターホルンも(これに感動していたら、このブログは自然遺産めぐりになっていたはず)、これがそうかーという程度の印象しか持たなかった私だが、このアルカサルに入ったと同時に建築めぐりという新しい趣味に足を踏み入れることとなった。

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アルカサルの最初の印象は、これって何だろう?だった。今まで経験したことのない異質な空間に足を踏み入れたと感じる。西洋とも日本とも違う何か別の言葉でこの建築は作られている

と直感的に思った。建築を全く知らなかったにしては正しい表現だと今にして思う。ムデハル様式で建てられたこの城は、古典主義やキリスト教中世建築とは異なる建築言語を持っている。ムデハル様式というのはレコンキスタ後のイスラーム文化がキリスト教化したものを言う。(ちなみに逆のキリスト教文化がイスラーム化したものをモサラベ様式と言う)。セビーリャのアルカサルは14世紀中頃ドン・ペドロというイスラームナイズされたキリスト教王が、イスラーム教徒を集めて建てさせたイスラーム風の建物なのだ。一説にはアルハンブラ宮殿の建設に携わった職人を集めて造らせたと言われているが、一方でアルハンブラの職人は二度と同じような宮殿が建てられないように全員殺されたとの説もあり、本当のところはわからない。私個人は後者の話はイスラーム世界に恐れを抱いていた西欧が後に捏造した話ではないかと疑っている。それはともかく、アルハンブラを模倣したと思われる箇所がところどころ存在するので、意識して建てられたことは確かだろうと思う。

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イスラームの建築にはドアがないのが普通で、部屋と部屋の間はアーチ状にくり抜かれた壁で仕切られる。この写真ではわからないが、このアーチの奥に次のアーチ、さらにその奥に次のアーチと続いていく。幾重にも連続するアーチは、まるで限りがないかのように感じられる。そして訪れる者を奥へ奥へと建物の体内へ取り込んで行くのである。

一般的に西洋の古典主義建築は柱の建築、中世キリスト教建築は壁の建築と言われている。そういう言い方をするならば。イスラーム建築はアーチの建築と言ってもいいだろう。柱も壁も空間を分断する。その分断のリズムが美を作り出す。一方アーチは空間を連続させる、重層と言ってもいい。空間を分断する列柱は、ある一つの方向を指し示し、視線を一点に誘う。そこには明快さや構築の透明性を感じる。しかしながら、空間を重層させるアーチが感じさせるのはもっと曖昧で感覚的なものだ。空間の連続の奥には闇があり、さらなる奥行きを感じさせる。終点がわからない、鏡に映る扉の中を潜り抜けているような錯覚さえ覚える。確固たる何かがあるのではなく漠然とした存在感、そんな曖昧さを私たち西洋建築を見慣れた者はエキゾチックと感じるのかもしれない。

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アーチ状の窓も美しい。下方に見えるのはムカルナスという鍾乳装飾。

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アップにするとこんな感じ。この精緻な装飾は本当にスゴイ。

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アルカサルの一番の見所は、真っ白な漆喰レリーフで飾られた乙女のパティオだろう。これがキリスト教建築の回廊ならば、柱のリズムミカルな配列やその柱頭彫刻の見事さを讃えるところだが、イスラームのパティオではやはり主役はアーチなのだ。ほっそりした二本の柱が支えるアーチには真っ白な漆喰に繊細な浅彫り彫刻を施されたパネルが乗っている。イスラーム建築では偶像崇拝が禁じられているため、幾何学模様や草花文様が否がおうにも発達する。その技術の粋たるや、筆舌に尽くしがたい。その軽やかさ、たおやかさはこれが建築と言う重くて硬いものであることを忘れそうなくらいだ。

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多弁形アーチも時代を下るとより繊細なデザインに。

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内部の着色された装飾も美しい。3つの馬蹄形アーチが思ったよりほっそりとしているのが少し意外だった。

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幾何学模様のドームはイスラームならでは。

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腰壁のファイアンス・モザイク・タイル

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同じく腰壁のタイル。こちらはラスター彩。いろいろなタイルの装飾を見るのもイスラーム建築の楽しみのひとつ。

セビーリャのアルカサルは、グラナダのアルハンブラやコルドバのメスキータに比較すると、規模としても歴史的価値としても劣るかもしれない。それでもスペインに行くなら、この城は外さないで欲しいのだ。グラナダもコルドバも建築的には滅亡してしまった王朝の文化を抱いている街だ。しかしながら、セビーリャは違う。イスラームの文化を取り込みつつもレコンキスタを完了させスペインの黄金時代を迎えようとしている一つの時代のムードを今も残している。スペイン建築はイスラームの介入により、他のヨーロッパ建築とは一線を画していると言われているが、セビーリャのアルカサルはキリスト教文化の中にイスラーム文化を融合させた。イスラームがイスラームとして存在するのではなく。その融合こそがスペイン建築の歴史をさらに魅力的なものにしていると思う。

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2007年9月19日 (水)

なにわ海の時空館

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それは実になんとなくなのだが、ウォーターフロントと言うとそれだけでお洒落な場所をイメージしてしまう。洒落たショップ、洒落たカフェ、デートにぴったりな公園・・・勝手な想像はつきないが、こと大阪に関してはそんなイメージは全くない。そこは労働の場としての港で、生活感に溢れている。このなにわ海の時空館はそのような環境の中につくられた。設計は、ポール・アンドルー。大阪湾にぽっかりと浮かぶガラスの球体は、夕陽を浴びて内包する展示室やエレベーター等の機能を浮かび上がらせる。なんとも未来的で見ているだけでワクワクする。設計者曰く、この水面に映る半球の物体はブレーへの一種のコンセプチュアルなオマージュなのだとか。なるほど、ブレーの有名なニュートン記念堂の設計案は、球体の完全性をテーマにしたものだった。まん丸な球体を地面にめり込ませただけの設計案、新古典主義の行き着くところ(新古典主義はギリシャ建築を復興させる様式のものから、純粋幾何学形態による壮大な空間の構想まで幅広い展開を見せる)。ニュートン記念堂は勿論図面だけのものであり実際に建てられることはなかったが、ブレーの時代から2世紀ちょっと経た現代においてはそのコンセプトは十分にありうるものになったのだ。

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時空館の中にはこの海底トンネルを抜けて入って行く。これはこの博物館がぽっかりと海に浮かんでいるように見せるためで、これによって球体は陸地から自由になり独立性を獲得することが可能になる。

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ドームの見上げ。中央の白い布は、江戸時代菱垣廻船のレプリカの帆である。海の時空館というのは、大阪港の歴史や海洋交通全般、様々な時代の船や海に関する展示を行う博物館なのだ。

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内部には廻船のレプリカを中心吹き抜けに展示し、その周り各フロアに3つの筒型展示室を配置している。

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海の時空館を訪れるにあたり、一つ疑問なことがあった。全面ガラス張りの建物であるということは当然温室状態になるわけで、何らかの日よけが必要になるのは必至。葛西の水族館入口のように中に全体に広がる布の日除けが張ってあったりしたら興ざめだ。雑誌の写真で見る限りそれはなさそうだったが、実際に行くと写真と違うと言うことはよくある話である。そんな私のバカみたいな心配はよそに、実際には非常にスマートにこの問題は解決されていた。ドームを見ると表面の色合いが微妙に違っている。1年の主要な時期の太陽の軌道に対応するように各ガラス面に様々な密度で組み込んだパンチングメタルの日除けを造ったのだ。太陽軌道の分析結果を割り振り、それぞれ密度の異なるゾーンを形成している。その濃淡がガラスに微妙なニュアンスを添えてとても美しい。

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夕陽の中に階段のシルエットが浮かび上がる。

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この博物館は展示物を見るだけではなく、空間そのものを楽しむことも大切にされている。展示室では海の歴史を学び、展示室の外では現在の港の姿や行きかう船の様子を眺めることができる。ガラスという透明の素材がここでも活きているのだ。今回は閉館30分前だったため建築を見るのが精一杯で、展示は全くと言っていいほど見ていない。次回はゆっくりと、展示も外の景色も楽しみながら時間を過ごしてみたいと思う。

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2007年9月18日 (火)

サントリーミュージアム[天保山]

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さて、シドニーの建築を書き終えて久々の日本の建築である。9月になり少し涼しくなったので、そろそろ国内美術館めぐりを再開しようと思い、大阪のサントリーミュージアムへ出かけることにした(結局暑かったんだけど)。この美術館は今回で2回目。1回目はちょうど1年前、まだ美術館めぐりをはじめる前で日本の建築にも近代建築にも全く興味がなかった頃のこと。随分綺麗な美術館だなぁ、安藤忠雄っぽいけど違うかなぁ等と考えながら見たのを覚えている。後で会社の人に聞くと「安藤忠雄に決まってるでしょ」と言われてしまったけど。

1年前はわからなかったが、確かに安藤忠雄の建築は一目見てそれとわかるような建物だ。このサントリーミュージアムも、中心に逆円錐の建物を置き、そこに二つの直方体が貫入するといういかにも安藤らしい構成だ。逆円錐の中には球体が内包されており、迫力のあるエントランスホールを造っている。初めて来たときには、その空間に圧倒された。ちなみに、長い方の直方体は展示室、もう一方にはカフェが入っており、美術鑑賞の後に海を眺めながらお茶など飲めるようになっている。

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逆円錐のガラス面。すっきりとした美しい空間だ。ここから外に出ることができる。外はマーメイド広場と呼ばれるところで、こちらも安藤忠雄が設計している。

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階段室から上を見上げる。

この建物は西に向いて全面ガラス張りとなっており、大阪湾に沈む夕陽を眺めることができる。この美術館の創始者故佐治敬三氏が、街で見ることができなくなってきた夕陽を楽しみたいと言う希望をもっていらしたのだとか。西日が強くて暑苦しいと感じるか夕陽が美しいと感じるかは個人差のあるところだが、たまには沈んで行く太陽ををぼんやり眺めながら1日の終わりを感じるのも悪くない。

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2007年9月10日 (月)

エリザベス・ベイ・ハウス

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この日はボンダイ・エクスプローラーに乗ってビーチでゆっくりする予定の日だった。冬だから泳げるわけではないのだが、ビーチサイドのお洒落なカフェでまったりするのもいいですよ、との旅行会社の人の言葉に乗せられて出かけることにしたのだ。このエリザベス・ベイ・ハウスはボンダイ・エクスプローラーの2番目のバス停近くにあるので、ちょっと立ち寄ることにした。

エリザベス・ベイ・ハウスは、植民地長官アレキサンダー・マクレイの住居として建てられた。設計はジョン・バージ、グリーク・リバイバルの建築だ。ファサードは均整のとれた左右対称のデザインで、ペディメントとポーティコを持つ。古典主義の要素を取り入れながらもアシンメトリーなデザインにしてしまう傾向のあるシドニーにおいて、この建物はともすると素っ気無いと感じるくらい見事に整理されている。

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エリザベス・ベイ・ハウスからの眺め。毎朝起きてこんな景色が見えたら幸せだろうな。

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玄関を抜けると、吹き抜けの楕円形ホールに出る。これは天井を見上げたところだが、この楕円のドームは外からは見えなかった。

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内部装飾はアールデコ様式。楕円のホールを囲むように、優美なカーブを描いて階段が降りてくる。

個人の家なので、当時の暮らしぶりに興味がなけらばそう見るところはないかもしれない。言ってみれば、神戸の異人館めぐりをしているような感じだった。

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2007年9月 9日 (日)

ストランド・アーケード

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シドニーのジョージストリートには、QVBの他にも気になるクラシック・アーケードがもう一つ存在している。1892年にオープンしたストランド・アーケード、シドニー・ヴィクトリア様式の洒落た建物だ。今でもオリジナルのデザインを留めている唯一の建物らしい。

ストランドという名前は、ロンドンの有名な通りから名づけられた。当時のオーナーがエレガントでファッショナブルなロンドンのストランドのようなアーケードになることを希望してのことだ。

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ストランドの外観、2Fと3Fに付されたジャイアント・オーダーとノーブルな壁の色が印象的。

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上の写真上部のアップ。ジャイアント・オーダーの上に三角のぺディメント、ビルの1番上に蒲鉾型のぺディメント、その間に4Fのフロアのサイズに合った蒲鉾型のぺディメントと柱が挿入される。ギリシャ神殿のファサードのモチーフが何度も繰返されている凝った装飾になっている。ペディメントというのは、西洋建築における切妻屋根の妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分のことである。この写真のように、一部欠けたものはブロークン・ペディメントと言ってバロック以降に生まれたものだ。蒲鉾型のものも同じくバロック以降のものだが、古典主義建築の本場イタリアではヴェネツィア以外あまり見かけない。逆にシドニーではポピュラーなように感じられるのは、やはり新しい街だからだろうか。

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ストランド内部

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天井ガラス部。細部の装飾も洒落ている。

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それぞれのショップの窓にはステンドグラスがはめられている。

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ガイドブックに必ず紹介されているダイナソー・デザイン、樹脂素材で制作された食器やアクセサリーのショップだ。パディントンの店しか書いてない本も多いが、そんなに遠くまで行かなくてもここで十分。

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階段室もステキ

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中央の三角破風を持つ木製のドアはエレベーター。こういうのもシックでいい。

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2007年9月 6日 (木)

シドニー中央郵便局(GPO)あるいはウェスティンホテル

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QVBからジョージストリートを海に向かって歩いて行くと右手に気になる時計台が見えてくる。実は私は階段好きなだけでなく、時計も大好きだ。この立派な建物はなにかしらと思って中へ入ると、そこはウェスティンホテルだった。今回の旅行はぎりぎりで予約を取ったため、ホテルを選ぶ余裕もなく調査不足だった。こんなかっこいい建物だったとは、迂闊だった。

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現在高級ホテルとして生まれ変わったこの建物は、元はシドニーの中央郵便局だった。設計はジェームズ・バーネット、19世紀のヴィクトリア様式で、立派な時計塔はやはりビッグベンを思わせる。

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ホテル内の階段

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上の階段を登ると古典主義的な空間が待っている。

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ロビーには赤いポスト。建物の歴史を偲ばせる。

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砂岩造りの古い建物と近代的なタワーがあり、ガラスのアトリウムで繋がれている。

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長いポーティコはヨーロッパにいるような気分にさせる。永遠の歩行者天国マーティン・プレイスに向かって開かれる空間は、洒落たムードを漂わせている。

このホテルのスウィートは、元郵便局長の部屋でとても豪華らしい。「もと○○を再生して」という歌い文句に弱い私・・・。一度泊まってみたい。というか見学だけでもさせて欲しい。

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2007年9月 3日 (月)

シナゴーグ(シドニー)

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セント・メアリーズ大聖堂を見た後、ハイドパークを横切ってタウンホールへ行こうと思ったら、公園沿いの道に不思議な建物を発見。ゴシック・・・でもない・・・ロマネスク・・・でもない?なんだか、普通の西洋建築とは違うルールに従って建てられているような・・・。何だろうと思って表示を見ると、不思議な文字が刻まれている。あぁ、シナゴーグか!残念ながら、中には入れなかった。見たかったなぁ。

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先頭アーチの中にバラ窓。周囲にはこったレリーフが施されている。

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入口の半円アーチ。鉄の柵も手が込んでいる。

シナゴーグはスペインやブダペストでも見たけれど、別段独自の様式を持っているというようには見えなかった。それぞれその土地の文脈の中で考えてよいものなのだろうか。スペインのシナゴーグはトレドとコルドバという土地柄のせいかイスラーム風だったけれど。とても気になるが、何を調べればいいのだろう?

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