旅行・地域

2013年1月11日 (金)

アメリカンホテル カフェアメリカン

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アムステルダム ライツェ広場に面したアメリカンホテル。オランダではあまり見かけることのないとてもアールヌーヴォーらしい佇まいをしている。設計はウィレム・クロムハウト。1902年の作品で国の文化財にも指定されている。中でも1Fにあるカフェ アメリカンはアールヌーヴォーの建物にアールデコの装飾が融合し優美な空間をつくり出している。パリのようなブリュッセルのような、古き良き時代を感じさせる洒落たカフェだ。

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アールヌーヴォーは国によって呼び名が異なるが、オランダではオランダ語でアールヌーヴォーを意味する「ニューウェ クンスト」が使われている。もとは同じ低地地帯で現在はお隣の国であるベルギーもアールヌーヴォーと呼んでいるので言葉の上では同じ流れにあったようだが、形態的にはあまり影響しあう関係にはなかったように見える。ベルギーはなんといってもアール・ヌーヴォー建築発祥の地であるし、オルタやアンカールなどの豊かな作品が残されている。一方オランダのアー・ルーヴォー事情はわかりにくい。カイペルスからアムステルダム派末期までの1880年頃~1923年とするものもあるし、1895年~1905年頃の10年間のみとする説もある。カイペルスはアールヌーヴォーの建築家というより方向性を示した建築家という意味だろう。終焉期の違いはアルステルダム派をどう見るかという違いなのかと思われるが、メイ他による「船舶協会ビル」は1916年に建てられおり、この内部空間は明らかにアールヌーヴォーなので前者の説なんだろうなぁと私は思っている。正直なところオランダのアールヌーヴォーというとベルラーヘというイメージしかないのだが、この建築家は近代建築の父と呼ばれるだけにモダニズムのような合理的な建築により近いような気がしてならない。もっともベルラーヘの建築も殆ど知らないのではあるが・・・(現にアメリカンホテルのデザインはベルラーヘに似ているらしく、そしてこのホテルはとてもアールヌーヴォー的である)。つくづくオランダという国はミステリアスな国である。私にとっては・・・。

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楕円アーチのような浅いカーブを描くアーチや色石(タイルや煉瓦も)のアクセントはこの時期のオランダ建築でよく見かける。カフェ アメリカンは内部の装飾がアールデコなので、アールヌーヴォ-よりも、そちらのイメージの方が強く感じられる。

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2012年1月18日 (水)

citizenM hotel Amsterdam City

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citizenM hotel Amsterdam City

Prinses Irenestraat 30, Zuideramstel, 1077 WX アムステルダム

アムステルダムでは二つのホテルに宿泊した。一つは駅近で快適、でも部屋はおもしろ味の無いホテル。もう一つは立地は少々不便で、部屋はお洒落だが結構使いにくいホテル。

citizenM hotel Amsterdam Cityは後者のホテルだ。場所はアムステルダム ザウド駅から徒歩約5分。トラムならPrinses Irenestraat停留所から130m。ホテルの周囲にはほぼ何もない、

スキポール空港まではザウド駅から10分弱と便利だが、街の中心にはやや遠く観光には少し不便だと感じた。と言っても、ゴッホ美術館や国立美術館のあるミュージアム広場までトラムを利用して10分で行けるのだから、これがパリやロンドンなら十分便利と言える範囲ではある。アムステルダムの観光地はほぼ徒歩圏内で収まっているため、これでも不便だと感じた。

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部屋はドアから窓へと長細く続いており、入口入ってすぐに水周り全てがあり、中心に小さな机とサイドテーブル、一番奥にベッドがある。一番上の写真と2番目の写真をあわせると、この部屋の全てということになる。

斬新なデザインでお洒落な部屋だが、かなり狭い。二人だと触れ違うこともできない。荷物も私たちは小さかったので大丈夫だったが、大き目のスーツケースの人は広げられないと思う。

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部屋に二つある筒状のはガラスは、一つはシャワーブース。

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もう一つはトイレになっている。ガラスの半分は曇りガラスになっているが、一緒に泊まる相手によっては影が映るので気になると思う。一応、カーテンで水周りを仕切れるようにはなっている。

洗面台は小さく顔を洗えばすぐに水が飛び散ってしまいそう。また、洗面台横に小さなガラス板が申し訳程度に設置されているだけなので、何かと水周りで使用するものが多い女性には使い辛い。

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円筒状のブース上の照明は赤黄色緑と色が変わって行くようになっており、曇りガラスに反射してぼうっと光る。おもしろい。

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ロビーはカラフルでスタイリッシュ。

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いろいろな椅子のデザインが堪能できる。

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これはエレベーター前のイス。

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子供が遊ぶスペースは可愛い。でも子供向きのホテルじゃない。

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全体的にデザイン重視なので、快適に過ごせるとはいいにくい。デザイナーズホテルは多かれ少なかれ不便なものなので、ある程度は覚悟して泊まるべき。部屋が随分狭いのには驚いたが、その分工夫されたおもしろい造りになっていた。予約サイトの利用者評価が高いのも頷ける。建築やインテリアに興味のある人には楽しめるホテル。便利さ・快適さが最重要ポイントの人は、中央駅付近で無難なホテルを探した方がいいだろう。

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2011年12月31日 (土)

旅行前・旅行後、楽しいのはどっち?(アムステルダム 新教会)

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アムステルダム中央駅から賑やかなダムラック通りを南へ下がるとダム広場に出る。広場の西側にはルネサンス様式の王宮が威容を誇り、中央では様々なパフォーマーが観光客を楽しませている。この広場の西北側に今回私達に大きな衝撃を与えることになった新教会がある。

新教会は名前に反して歴史は古く、15世紀の半ば頃にはほぼ完成していたようである。ユトレヒトの司教がアムステルダムに二つ目の教区教会を許可したのが1408年(そのため以前からあったものを旧教会、後にできたものを新教会と呼び分けている)。この頃はアムステルダムの繁栄が始まった時期にあたり、豊富な資金がこの教会建設を可能にしたと想像される。この教会では代々、王(女王)の戴冠式が行なわれており、現在のベアトリクス女王もここで即位している。2002年には皇太子の結婚式が行なわれ、この教会の格式の高さが伺える。しかし、実際に入ってみると想像していた教会とは程遠いものだった。

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新教会の内部はかなり雑然としていた。ウェディングドレスと思しきものがごちゃごちゃと展示されている。通常舞台裏に隠されているような台なども側廊に放置されていおり、美術館の展示準備中に足を踏み入れてしまったとうな感じだった。そんな状態だったから建築自体あまりよく見ることができず、雰囲気もよくない。しかも、そんな状態でありながら入場料は10ユーロとかなり高い。他の国で10ユーロ払えば、どれほどの質と量の美術品を見られるかということを考えるとこれは驚くべき金額だ。

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ガイドブックをよく読んで見ると、この新教会はイベント会場として使用されているらしく、イベント開催時だけ入場でき、金額も催しによって異なるとのことだった。また、今回高価だった(内容に対して)入場料もミュージアム・イヤーリーカルトというパスを持っていれば無料か割り引きを受けられたようだ。やはり、ガイドブックをちゃんと読んでそれなにりに計画をたてないとダメだなぁと反省する。

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毎回思うことではあるが、私も連れも旅の準備をすることが苦手だ。荷造りといった物理的な準備もそうだが、何処に行こうか何をしようかと計画を練ることも嫌いだ。その時間が一番楽しい時じゃないの?と人に問われ、そういうものかしらとふと考えた。

実は私は結構旅行前になると、マリッジブルーならぬトラベルブルーに陥ることが多い。本当にその行き先でよかったのか、家でぬくぬくしていた方がよかったんじゃないかとなんだか憂鬱な気持ちになってくる。エアの予約を取ってしまうまであんなに楽しみだったのに、この変わりようはナンなのか?自分でも不思議である。

沢木耕太郎が「旅の力」という本で、旅の準備は永遠の引き算をしているようだったと書いている。それは長く過酷になるであろう旅の持ち物の準備についての言葉ではあるが、なににつけ準備をするということは「永遠の引き算」なのではないだろうか。

私が準備が嫌いなのは生来の怠惰な性格故であることも確かだが、この「引き算」をすることが嫌なんじゃないかとも思う。エアを予約してしまうまで、私には色々な可能性があった。パリのパサージュでカフェオレを飲んでいる私も、クロアチアの国立公園でトレッキングをしている私も、ブダペストで温泉につかりながらチェスをしている私も、色んな私があり得た。その「沢山の可能性を持っている私」という状態が楽しいのである。だから、その中から一つに限定してしまった時点で憂鬱な気分が襲ってくる。あそこの方が良かったのでは、家でぬくぬくしていた方が幸せなのでは・・・と不安になってくる。

旅行の計画をきちんと立てるのが嫌いなことも、理由は同じだ。時間は限られているから、どこかに行けばどこかには行けなくなる。計画を立てることは、行けない所をどんどん引き算して行く過程でもある。

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こんな風に書くと物凄くマイナス思考に見えるが、こんな私も旅立ってしまえば結局楽しい。実は帰ってきてからも楽しい。旅行中に見たことや感じた疑問について、自分なりに調べて知識を増やして行くことは非常に楽しい。そういうことならもっとこういう所も見ておけば良かったと思うことも多々あるが、またいつか行ってみようと次のモチベーションへ繋がるので問題ない。そうやって次の旅行が決まるまで、いつまでもふわふわと旅をしている気分でいられる。だから私について言うならば、旅行前より旅行後の方が断然楽しい。

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さて、今年もいよいよ終わり。年末になって毎年思う。何故こんなに使ってないものがあるんだろう。昨年も断捨離したはずなのに。生活をして行くことにあまり沢山のものは必要ないとわかっているのに何故かどんどん増えていく。「引き算」が苦手な影響は日々の生活にも顕著に現れる。来年こそは断捨離元年になりますように・・・。

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2011年11月30日 (水)

心惹かれるショーウィンドウ(アムステルダム)

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旅先で見かけるショップのウィンドウは旅の楽しみの一つだ。その国の特産品も一目瞭然だし、季節によっては様々な行事にまつわるディスプレイも楽しめる。特にヨーロッパのショーウィンドウはお洒落なものが多い。アムステルダム中央駅から南、ダムラック通りとスパイス通りに挿まれた地域はカフェや土産物屋でいつも賑わっている。王宮や新教会のあるダム広場へ向かう途中に黄色い丸い物体の並ぶショーウィンドウを見かけた。

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覗いてみるとチーズだった。店一杯に同じ種類のチーズがずらりと並んでいる様子は圧巻。

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アムステルダムのショーウィンドウはお洒落と言うよりお茶目なものが多かった。

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これは包丁立て。カラフルで可愛いけどグロい。因みにお値段は1万円強。

しかしながら一番オランダっぽく斬新なのは、所謂「飾り窓」と呼ばれる窓かもしれない。旧教会の塔にあがるため教会で前で時間待ちをしていると、目の前のコンビニのような何の装飾も無いガラス窓の中にいつの間にか下着姿の女性が立っていた。何かわからず頭の中に疑問符が飛び交ったが、しばらくすると隣の窓にも同じような女性が立ち始めて、これが所謂飾り窓の女かと気が付いた(気付くの遅いし)。オランダでは売春が合法化されているが、よりによって教会の前でやるのかととても驚いた。この地区に隣接するダムラックはかつてはアムステルダムの港であった場所。そのためこのあたりは水夫達の遊び場だった。港湾機能は時とともに西へと移動して行ったが、飾り窓地区だけはそのまま残ったのだそうだ。

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2010年9月 1日 (水)

気になる日時計2

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マルタ島ヴァレッタの街角で日時計を見つけた。普通に人が住んでいる普通の建物に粗雑でありながら几帳面な様子で刻まれている。時計の下に1695という数字が見えるので17世紀に彫られたものと想像するが、どんな人がどういう理由でここに時計を刻んだのか気になるところである。もともと時計好きな私ではあるが、このような生活密着型の(?)日時計となるとこれはまた格別で物凄いお宝を発見した気分になる。

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チェスキークルムロフ クルムロフ城の時計。騙し絵の本場らしく、窓の上に時計が重ねて描かれている。お茶目だ。

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チェスキークルムロフ クルムロフ城の時計。こちらは王道な感じで。

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ローマ トリニタ・ディ・モンティ教会ファサード。

ところで、ウィトルウィウスの建築書によると建築技術には3つの部門があるという。ウィトルウィウスの建築書は紀元前一世紀頃に書かれた理論書で、アルベルティやパッラ-ディオ等ルネサンスの建築家に大きな影響を与えたものだ。その3つとは、建物を建てること、日時計を作ること、機械を造ること、なのだそうだ。機械と言うのは建物を建てる際に使用する機械が必要だろうし、その建物が機能するための機械(例えば粉引き小屋の風車等)も建築の一部と考えられるのはわかる気がする。しかし日時計が一分野を成すというのは私には若干意外だった。おそらくは建物を建てる作業をするにあたり時間を知ることが必要だったからなのだろう。当時の建築担当者は気候はもとより天体の動きについても詳しい知識を求められただろうから、考えてみればそう不思議なことでもなかったのかもしれない。同じ建築家といっても時代によって仕事の分野は大きく変わる。なかなか興味深い。

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2010年8月19日 (木)

アテネのパサージュ

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プラカ地区を散策してたいところ可愛らしいパサージュを見つけた。ちょうどシェスタの時間帯だったので誰も歩いておらず静まり返っていた。後で調べてみたが名前も何もわからなかった。残念。店は宗教関係のものが多く、観光客の私たちは何だか場違いな感じだった。ちなみにこのパサージュの入口のある通りを北へ行くとミクロポリス大聖堂に出る。

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幅のない狭いパサージュにも関わらず、中庭にいるような明るいイメージ。壁の色のせいだろうか。

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2010年3月13日 (土)

クトナーホラの町並み

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世界遺産のバルバラ大聖堂を見るためプラハから電車で1時間ほどのところにあるクトナーホラへ出掛けた。その日は生憎の悪天候で降りしきる雪の中を旧市街まで凍えそうになりながら歩いた。クトナーホラは今は鄙びた小さな町だが、13世紀から16世紀の間豊富に産出される銀で賑わいを見せた。立派な大聖堂や造幣局、銀山の坑道等が当時の繁栄を物語るが、人通りの少ない静まり返った町を歩いていると何だか信じ難い。

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芦原義信著「街並みの美学」という本によると、街路の美しさは通りと両側に並ぶ建物との比率によって決まるのだと言う。なんでも建物の高さと道幅が1対2ないし2対1が黄金比なのだそうだ。クトナーホラがそれに合致しているかどうかはわからないが、予想外に綺麗な町並みに驚いた。

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道幅だけでなく、通りが自然なカーブを描き視覚の閉じる空間をつくっていることや屋根の高さがおもむね揃っていること、色とりどりの外壁のトーンが揃っていること、そういった様々な要素が重なって、クトナーホラの魅力的な町並み作られているのだと思う。

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この日は雪が振っていることもあり、ユトリロの描く町に似ていて、やはりヨーロッパはこういうところがいいとなんだか得をした気分になった。

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バルバラ大聖堂の近くまで行くとさすがに幾つかの観光客グループが来ていたが、それでも世界遺産としては訪れる人は少ない方だろう。夏のクトナーホラはどんなだろうか。打って変わって賑やかな観光地だったりするのだろうか。人の出会いと同じで、町や建築も出会ったときのシチュエーションによってイメージは大きく変わる。キーンと突き刺すような冷たい空気の中のクトナーホラがあまりにも素敵で、どんなときのクトナーホラが最もクトナーホラらしいのかと逆に気になってしまった。また、是非違う季節に訪れる機会があればと願う。

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左が1番上の写真の聖ヤコブ教会

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2009年5月 4日 (月)

3つの白薔薇館

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「プラハに行ったらハードロックカフェでピンズ買って来てね。旧市街広場に出来たらしいから絶対通るはずだし。」

プラハ旅行の直前、姉からメールが来た。なんでもチェコ初のハードロックカフェが最近オープンしたらしいのである(といっても08年年末の話だけど)。私の実家では海外へ行ったら必ずハードロックカフェのご当地ピンズを買って来ることになっていて、おかげで私自身も結構な数のコレクションが収集されつつある。

旧市街広場は確かに何度も通るところだが、折りしもクリスマス市が開かれているため、全く見通しが利かない。それでもハードロックカフェのことだから派手な看板が出ているはずだしそのうち見つかるだろうと鷹をくくっていたのだが一向に見つかる気配がない。散々周辺を歩き回ってみて、旧市街広場から一歩入った小さな広場(マレー広場というらしい)でやっと見つけた。

上の写真のファサードの繊細な壁画が美しいいかにもプラハの伝統的な館らしい建物が、チェコ初と噂のハードロックカフェである。情報に誤りがあったのも問題だったが、何よりもあのいつもの派手な看板がなかったのが問題だった。建物の1階入口上に小さく「HARD ROCK CAFE」と書いてあるだけなのである。あの派手なマークを探して歩いていたから余計にわかりにくかった。やはり、京都のマクドナルドのMが茶色なのと同じで、美観を損ねるという理由で許可されなかったのだろう。どうせなら、あのギターのマークで小さな標識を造ってくれれば話のネタになったのに・・・。

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この館は「3つの白薔薇館」と呼ばれているらしいが、もとはロッツ金属商会の建物だったらしい。設計はL・ノヴァークとA・オフボァーであることはわかったが、何年頃に建てられたものかはわからなかった。

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軒下に半円形のレリーフを連ねるのはボヘミアン・スタイルによく見られる装飾。

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驚くほど繊細な壁絵。建物のファサードを絵で飾る装飾はルネサンス期から始まったようだ。プラハにはこのように壁絵が美しい建築が数多く残っている。

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2009年2月23日 (月)

カフェ トラム

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プラハ随一の繁華街ヴァーツラフ広場の中ほどにちょこんと停まっているトラムを見つけた。近づいてみると「カフェ」という文字。どうやら本物のトラムを再利用してカフェとして使っているらしい。広場と言ってもヴァーツラフ大通りと言った方がしっくり来るような細長い広場だから、まるで停留所に停まっているような風情でおもしろい。

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プラハはウィーンの支配下にあった影響なのかカフェ文化が発達している。それもパリのようなハイソでお洒落なカフェではない。鄙びたムードの味のあるカフェが多い。お値段も驚くほど安く、180円くらいからお茶を楽しむことができる。しかもコーヒー、紅茶とも種類が豊富なのが嬉しい。

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窓には「CAFE Trambaj」の文字。Trambajはチェコ語でトラムの意味。

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このカフェの前は何度か通ったのだけれど、結局入れず終いだった。それが少しだけ心残りである。

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2008年6月22日 (日)

サント・ジュヌビエーヴ聖堂(パンテオン)

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パリには何度か来ているのに一度も訪れたことのなかったサント・ジュヌヴィエーヴ聖堂(一般にはパンテオンとして知られている)。リュクサンブール公園前の三叉路から両側にカフェの並ぶスフロ通りに入ると、突き当たりに壮麗なポーティコとと高いドームが印象的な新古典主義の建物が見える。ローマのサン・ピエトロ寺院へのアプローチを小さくしたような感じだ。

サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂はルイ15世の病気の回復を記念して復興された。設計を担当したのはスフロ。長さ110m、幅83m、ギリシャ十字形プランがそのまま外部に現れ、ギリシャの純粋性とローマの壮麗さを併せ持つといわれている。フランス新古典主義の傑作とされている建築だ。

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ドームは直径25m、高さ115m。イギリスのセント・ポール大聖堂(クリストファー・レンによる)を模範として建てられたが、構造的にはパリのアンヴァリッドのドームに倣っている。しかしながら、新古典主義の建築にありがちなこのドームのデザインは、ローマにあるブラマンテのテンピエットにまで遡ることができる。これはサン・ピエトロ・イン・モートーリオ聖堂にある小神殿で、ルネサンス建築の頂点と言われおり、後に造られた古典主義のドームに多大な影響を与えた。

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聖堂内に展示されている断面図。このドームは1780年スフロがなくなった後数学者ロンドレに引き継がれ完成された。薄肉構造の三重殻ドームで、初めて静力学と材料力学が適用された例と言われている。

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ドームの見上げ

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ドームの下の様子。ドームを支える4本のピアのうちの一つ。

スフロはサント・ジュヌヴィエーヴ聖堂の設計にあたり、ローマの壮麗さとゴシックの構造的軽快さの結合を目指したという。当初の案では8本の円柱だけでドームを支える予定だったが、これはアカデミーの反対により4本のピアに変更され、それでも尚1778年にひび割れが生じたため柱を厚くせざるを得なくなった。この改造は材料と構造の知識に定評のあったロンドレが担当している。何となくバベルの塔を思い起こすような話であるが、ボーヴェの大聖堂然り、より薄く、より高くと求めて行くならばこのようなことも起こリ得るだろう。ガイドブックにおいて、ギリシャ・ゴシック様式の神殿と紹介されているこの建物だが、現在この聖堂を見てもゴシック的な要素は殆ど感じられない。

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ギリシャ十字の腕の部分にも浅いドームが掛かっている。

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ドームの模様と呼応するような床のデザインも美しい。

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フーコーの振り子。1851年1月8日レオン・フーコーが地球の自転を証明するためパンテオンで公開実験を行った。ここにあるのはレプリカで、実物はメチエ博物館にある。

サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂は1755年着工、1791年に完成された。聖ジュヌヴィエーヴに捧げる教会堂だったが、大革命後の国民議会において国民的偉人を祀る記念堂とすることに決定し、それ以来「パンテオン」の名で知られるようになった。そもそもパンテオンとはギリシャ語で「すべての神々」という意味なのだそうだ。古代ギリシャは多神教なので、ゼウス神殿やアポロン神殿等個々の神を祀る神殿と全ての神に捧げる神殿があり、後者の神殿をパンテオンと呼んだらしい。それがルネサンス期のキリスト教世界に導入され、キリスト教は一神教であったため転じて偉人達を祀る記念堂とされるようになった。いかにも、ギリシャ好みのルネサンス人らしい話で、なんだか微笑ましい。

このパンテオンには、ビクトル・ユゴーやキュリー婦人、アレクサンドル・デュマ、ルソー等が眠っている。そして、勿論この聖堂を手掛けたスフロも・・・。

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